冨士眞奈美さんの夫はどんな人だったのか、なぜ離婚したのか、気になって検索された方も多いのではないでしょうか。結論から言うと、夫は脚本家の林秀彦さんで、1974年に結婚し、1984年に離婚しています。
離婚の理由を、冨士さんが明確に語った記録は確認できません。ただ、週刊女性PRIMEの連載で、冨士さん自身が、結婚生活を「不思議な10年間」と振り返っています。
元夫の林秀彦さんは、2010年11月19日に肺炎で亡くなりました。冨士さんは2026年10月時点で88歳で、2026年1月の『徹子の部屋』にも出演しています。
内容は2026年10月時点の情報です。娘さんなど一般の方のお名前は掲載せず、公表された範囲にとどめています。
◆記事のポイント
- 冨士眞奈美さんの夫は脚本家の林秀彦さんで、1974年に結婚した
- 夫の意向もあり、結婚後の約10年間は女優業を休んでいた
- 1984年に離婚し、離婚の理由を本人が明言した記録は確認できない
- 林秀彦さんは2010年に亡くなり、冨士さんは現在88歳である
※2026年10月21日時点で確認できた、Wikipedia、冨士さん本人の連載記事、報道各社の記事などをもとにまとめています。娘さんなど一般の方のお名前は掲載していません。
冨士眞奈美の夫について確認できること
- 夫は脚本家の林秀彦で1974年に結婚
- 林秀彦は3度結婚した脚本家
- 結婚に至った経緯と30代半ばの決断
- 不思議な10年間の結婚生活の実態
- 出産の日のエピソードと本人の夫婦観
夫は脚本家の林秀彦で1974年に結婚
結論から言うと、冨士眞奈美さんの夫は、脚本家の林秀彦さんで、1974年に結婚しました。まず、確認できる基本情報を整理しますね。
①結婚した時期
Wikipedia(冨士眞奈美)によると、冨士さんは1974年に脚本家の林秀彦さんと結婚しています。その後、37歳で1女をもうけたのを機に、一時女優業を休業し、子育てに専念しました。
連載では、結婚した当時は35歳だったと書かれていました。人気絶頂の女優が選んだ結婚として、当時は注目を集めたのでしょう。Wikipediaは30代半ばの頃と記しており、おおむね一致しています。なお、Wikipediaは結婚後も句会出席などの活動は続けていたとされると書きますが、連載で冨士さんは句会も欠席したと述べており、表現に差があります。
②夫のプロフィール
Wikipedia(林秀彦)によると、林さんは1934年9月26日に東京府で生まれた脚本家です。2010年11月19日に、肺炎のために福岡県久留米市の病院で亡くなりました。父は随筆家の林謙一さんだと、同じ項目に記されています。
冨士さんは1938年1月15日生まれなので、林さんは3歳年上にあたります。
③結婚と離婚の基本情報
| 項目 | 内容 | 出典 |
|---|---|---|
| 夫 | 脚本家の林秀彦さん | Wikipedia |
| 結婚 | 1974年 | Wikipedia |
| 離婚 | 1984年 | Wikipedia・週刊女性PRIME |
| お子さん | 1976年に1女が誕生 | 週刊女性PRIME・Wikipedia |
| 夫の死去 | 2010年11月19日(肺炎) | Wikipedia(林秀彦) |
④年齢差と立場
冨士さんは10代でデビューし、NHK専属女優の第一号となった大先輩でした。一方の林さんは、松山善三さんに師事し、ドラマや映画の脚本を数多く手がけた人物です。
二人とも、テレビの黎明期に活躍した同世代の表現者だったことが分かります。林さんの作品は、刑事ドラマから青春ドラマ、ホームドラマまで幅広く、テレビドラマの黎明期を支えた一人だったとみられます。これは作品名からの私の見方です。
出典元:Wikipedia(冨士眞奈美) / Wikipedia(林秀彦) / 週刊女性PRIME 冨士眞奈美さんの連載(2022年4月18日)
林秀彦は3度結婚した脚本家
結論から言うと、林秀彦さんは、学習院高等科を卒業後に欧州へ渡り、帰国後に脚本家として活躍した人物です。。冨士さんは、林さんにとって2度目の結婚相手とみられます。
①経歴
Wikipedia(林秀彦)によると、林さんは学習院高等科を卒業後、インド洋経由で渡欧しました。ドイツのザール大学、フランスのモンペリエ大学に留学し、哲学を専攻しています。
帰国後は松山善三さんに師事して、映画やテレビの脚本を執筆しました。『七人の刑事』『若者たち』『妻と女の間』など、多数の作品が記録されています。
②結婚歴
林さんは3度結婚しており、最初の妻との間に子がいました。2度目の結婚が、1974年の冨士さんとの結婚で、一児を授かったものの、1984年に離婚しています。
このお子さんは、冨士さんの娘さんにあたります。お名前は、成人した一般の方のため、この記事では書きません。
③林秀彦さんの歩み
| 年 | 出来事 | 出典 |
|---|---|---|
| 1934年9月26日 | 東京府で生まれる | Wikipedia(林秀彦) |
| 青年期 | 学習院高等科を卒業後に渡欧し、ドイツとフランスで哲学を学ぶ | Wikipedia(林秀彦) |
| 1974年 | 冨士眞奈美さんと結婚 | Wikipedia(林秀彦) |
| 1984年 | 冨士さんと離婚 | Wikipedia(林秀彦) |
| 1988年〜2005年 | オーストラリアに移住 | Wikipedia(林秀彦) |
| 2010年11月19日 | 肺炎のため死去 | Wikipedia(林秀彦) |
④離婚後の暮らし
離婚の4年後の1988年から、林さんは2005年までオーストラリアに移住しています。帰国後は、大分県九重町で暮らしていたそうです。
祖母には、NHKの連続テレビ小説「おはなはん」のモデルになった林はなさんがいます。家系にも注目が集まる人物でした。冨士さんとの結婚は、そうした名家に連なる林さんにとっても、大きな出来事だったはずです。ただし、林さんが結婚について語った記録は、今回確認できませんでした。
出典元:Wikipedia(林秀彦) / Wikipedia(冨士眞奈美)
結婚に至った経緯と30代半ばの決断
結論から言うと、冨士さんは30代半ばの頃、先輩女優の言葉にハッとして、林秀彦さんとの結婚を決めたとされています。。
①先輩女優の言葉
Wikipedia(冨士眞奈美)によると、30代半ばの頃、独身のまま女優業に邁進していた冨士さんは、先輩女優の山岡久乃さんから、未婚のまま女優を続けた後悔を聞きました。
これに一人の女としてハッとさせられ、それまでに決まっていた仕事をこなしたあと、林さんとの交際に時間を作って、慌ただしく結婚したそうです。
②結婚前の活躍
冨士さんは1956年にNHKのドラマ『この瞳』の主役でデビューし、1957年にはNHK専属女優の第一号になりました。1970年には『細うで繁盛記』で意地悪な小姑を演じ、当たり役になっています。
結婚した1974年は、まさに人気女優として脂が乗っていた時期でした。デビュー後に父を亡くし、「この仕事で一家を支えていかなきゃ」という気持ちに変わったと、Wikipediaは書いています。家族を支える立場だった冨士さんが、30代半ばで自分の家庭を持つと決めたことになります。
③結婚前後の主な出来事
| 年 | 出来事 | 出典 |
|---|---|---|
| 1956年 | NHKドラマ『この瞳』の主役でデビュー | Wikipedia |
| 1957年 | NHK専属女優の第一号に | Wikipedia |
| 1970年 | 『細うで繁盛記』で小姑役を演じ、当たり役に | Wikipedia |
| 1974年 | 脚本家の林秀彦さんと結婚 | Wikipedia |
| 1976年1月8日 | 娘が誕生 | 週刊女性PRIME |
④決断の背景
先輩の後悔を聞いて決断したという流れから、冨士さんは、仕事と家庭の両方を大切にしたい、という思いが強かったのかもしれません。これは私の推測です。
連載では、結婚によって表舞台を離れたことを、後悔はないと書いています。この点は、次の項目で詳しく見ていきます。
出典元:Wikipedia(冨士眞奈美) / 週刊女性PRIME 冨士眞奈美さんの連載(2022年4月18日)
不思議な10年間の結婚生活の実態
結論から言うと、冨士さんは、夫の意向もあって女優業を休み、結婚生活を「不思議な10年間」と振り返っています。。
①ドラマや映画に出なかった10年
週刊女性PRIME(2022年4月18日)の連載で、冨士さんは、10年後の1984年に離婚するまで、ドラマや映画には一切出演しなかったと書いています。句会も欠席したそうです。
理由として、「夫が、私の芸能活動を嫌がったため、いざこざを恐れて私は結婚すると決めてからすっかりその気をなくしていた」と述べています。
②毎日のように訪れる来客
一方で、夫は、俳優仲間の伊丹十三さんや石立鉄男さん、棋士の方々が遊びに来ることは大歓迎でした。ほぼ毎日、誰かが来訪し、多い時は20人ほどが集まったそうです。
歌手の荒木一郎さんは、プロはだしのカードマジックを披露してくれたと、冨士さんは振り返っています。
③結婚生活の様子
| テーマ | 冨士さんの言葉の内容 | 出典 |
|---|---|---|
| 芸能活動 | 夫が嫌がったため、10年間ドラマや映画に出なかった | 週刊女性PRIME(2022年4月18日) |
| 来客 | ほぼ毎日、誰かが来訪。多い時は約20人 | 週刊女性PRIME(2022年4月18日) |
| 生活費 | 彼から生活費をもらったことは一切なく、貯金を取り崩した | 週刊女性PRIME(2022年5月2日) |
| 全体の印象 | 「本当に不思議な奉仕生活、10年間の結婚生活だった」 | 週刊女性PRIME(2022年4月18日) |
④本人の受け止め
冨士さんは、女優を続けていたらできなかったPTAの役員など、新しい役柄を演じているようで楽しかったと書き、その選択に後悔はないとしています。「閉門蟄居の生活」とも表現しました。
前夫は後悔していたような気もする、とも述べており、複雑な思いが読み取れます。ただし、これは本人の推測であり、林さんが語った言葉ではありません。
出典元:週刊女性PRIME 冨士眞奈美さんの連載(2022年4月18日) / 週刊女性PRIME 冨士眞奈美さんの連載(2022年5月2日)
出産の日のエピソードと本人の夫婦観
結論から言うと、冨士さんは「好きになったら諦める」と、結婚や夫婦についての考えを率直に語っています。。
①娘さんが生まれた日
週刊女性PRIME(2022年5月2日)によると、1976年1月8日、娘さんが生まれた日の明け方に陣痛が来た冨士さんは、前夜から将棋を指しに来ていた客人のいる家で、夫が泥酔していて役に立たなかったと振り返っています。
仕方なく、シャワーを浴びてタクシーを拾い、1人で病院へ行って手続きをし、出産したそうです。夫は夕方ごろ、お姑さんに連れられて病院に来た、と書かれています。
②夫婦観
冨士さんは「男女関係は早く納得したほうがいい」と語り、好きか嫌いかを考えて、自分が好きだったら諦める、と助言しています。自分は面食いだったので、それでよかったそうです。
一方で、「結果的に結婚生活に終止符を打ってしまった私が助言しても、説得力に欠けるわね」と、笑い飛ばしています。「あはは」と笑う語り口が、いかにも冨士さんらしいところです。
③本人の言葉のまとめ
| テーマ | 内容 | 出典 |
|---|---|---|
| 夫婦についての考え | 好きになったら諦める | 週刊女性PRIME(2022年5月2日) |
| 出産の日の夫 | 泥酔していて、夕方にお姑さんと病院に来た | 週刊女性PRIME(2022年5月2日) |
| 夫の暮らしぶり | 舶来品が好きで、節制を知らず、こだわりが強かった | 週刊女性PRIME(2022年5月2日) |
| 後悔の有無 | 後悔はない | 週刊女性PRIME(2022年5月2日) |
④書き方への配慮
冨士さんの連載は、あくまで本人の思い出として、ユーモアを交えて語られたものです。亡くなった林さんの人柄を、この一面だけで決めつけることは避けたいところです。出産という人生の大事な場面さえ笑い話にできるのが、冨士さんらしさなのでしょう。
連載でも、「なんだか彼がヒドい人のように見えるけど」と断りながら、後悔はないと書いています。
出典元:週刊女性PRIME 冨士眞奈美さんの連載(2022年5月2日) / Wikipedia(冨士眞奈美)
冨士眞奈美の夫とあわせて知りたい離婚後と現在
- 離婚は1984年で慰謝料も養育費もなし
- 離婚後に復帰したエプロンおばさん
- 元夫の最期と娘さんについて
- 徹子の部屋に出演する88歳の現在
- 冨士眞奈美の経歴と俳人としての顔
- 冨士眞奈美の夫についてのまとめ
離婚は1984年で慰謝料も養育費もなし
結論から言うと、冨士さんは1984年に離婚し、慰謝料も養育費もないまま、娘さんと2人で新しい生活を始めました。。
①離婚の時期
Wikipedia(冨士眞奈美)には、1984年に離婚したことで、本格的に芸能活動を再開した、と書かれています。連載でも、10年後の1984年に離婚するまで、と同じ年が記されています。
結婚した1974年から数えて、ちょうど10年の結婚生活でした。離婚の年は資料で一致していますが、離婚に至る経緯や別居の期間などは、確認できませんでした。
②離婚の条件
週刊女性PRIME(2023年3月21日号)の連載で、冨士さんは、離婚時に「慰謝料も養育費もなしで別れたので、親子2人に未来はなかった」と書いています。
娘さんはまだ8歳でした。頼れる先が限られる中で、娘さんと2人で生き抜く覚悟が、この言葉ににじんでいます。「これからお金がいるので仕事をしなきゃいけない」というのが、復帰を決めた本音だった、と述べています。
③離婚前後の状況
| 項目 | 内容 | 出典 |
|---|---|---|
| 離婚の時期 | 1984年 | Wikipedia・週刊女性PRIME |
| 離婚の理由 | 本人は明確に語っていない | 確認できず |
| 慰謝料・養育費 | なし | 週刊女性PRIME(2023年3月21日号) |
| 当時の娘さん | 8歳 | 週刊女性PRIME(2023年3月21日号) |
④離婚の理由が語られない点
離婚の理由について、冨士さんが具体的に述べた記録は、今回確認した資料には見つかりませんでした。連載でも、「結局、夫とは離婚」という簡潔な表現にとどめています。
インターネット上の動画などに、離婚理由を断定的にうたうものがあっても、根拠は確認できません。憶測は避けるのが賢明です。離婚から約40年が過ぎた今も、冨士さんは連載で当時を振り返っており、苦労を笑いに変える強さが感じられます。
出典元:Wikipedia(冨士眞奈美) / 週刊女性PRIME 冨士眞奈美さんの連載(2023年3月21日号) / 週刊女性PRIME 冨士眞奈美さんの連載(2022年5月2日)
離婚後に復帰したエプロンおばさん
結論から言うと、離婚後、冨士さんは生活のために、すぐに仕事へ復帰しました。。
①エプロンおばさんで復帰
週刊女性PRIME(2023年3月21日号)によると、離婚してすぐに舞い込んだ仕事が、俳優座養成所時代の同期である柳生博さんが夫役の『エプロンおばさん』(フジテレビ系)でした。冨士さんは、のんびりした柳生さんと対照的な、漫画チックな役どころだったそうです。
同じ連載には、下宿の住人役で林家こぶ平さん(現・九代目林家正蔵さん)も出演していた、と書かれています。顔ぶれの楽しい現場で、のびのびと演じられた様子が伝わってきます。
②年の表記の違い
連載はこのドラマを1983年の作品と書いていますが、離婚は1984年とされています。そのため、出演と離婚の前後関係には、資料によってずれがあります。
正確な時期は確認できないため、ここでは、離婚の前後に復帰が始まったと受け止めてください。
③復帰後の主な仕事
| 作品・番組 | 内容 | 出典 |
|---|---|---|
| エプロンおばさん | フジテレビ系のドラマ。柳生博さんが夫役、冨士さんが主演 | 週刊女性PRIME(2023年3月21日号) |
| 新伍のお待ちどおさま | TBSのワイドショーに1985年から1990年までレギュラー出演 | 週刊女性PRIME(2023年3月21日号) |
| 末っ子長男姉三人 | 2003年のTBS系ドラマ。深津絵里さんとの掛け合いが話題に | Wikipedia |
④再独身後の暮らし
連載では、結婚生活という肩の荷が下りたからか、束縛されていた頃の鬱憤を晴らすように、毎日、新宿を拠点に飲み歩いたとも書かれています。
娘さんによると、自宅の階段の踊り場で寝ていたこともあったそうです。冨士さん自身が、「自分にあきれちゃう」と笑って振り返っています。ワイドショーのレギュラーでは、好きなようにしゃべらせてもらえて、とても楽しかったそうです。
出典元:週刊女性PRIME 冨士眞奈美さんの連載(2023年3月21日号) / Wikipedia(冨士眞奈美)
元夫の最期と娘さんについて
結論から言うと、林秀彦さんは2010年11月19日に肺炎で亡くなり、冨士さんの娘さんは、成人した一般の方として活動しています。。
①林秀彦さんの死去
Wikipedia(林秀彦)によると、林さんは2010年11月19日、肺炎のために福岡県久留米市の病院で亡くなりました。満76歳でした。
離婚から26年後の別れです。Wikipedia(冨士眞奈美)には、離婚前の林さんや娘さんと一緒に『徹子の部屋』に出演したこともあった、と書かれています。冨士さんがこの訃報に対して語った記録は、今回確認できませんでした。
②娘さんについて
冨士さんの娘さんは、1976年1月8日生まれで、冨士さんと一緒にテレビ出演をすることもあります。Wikipediaには、2019年に娘さんと『徹子の部屋』に出演した際のエピソードも紹介されています。
ただし、娘さんは一般の方にあたるため、お名前や詳しい経歴は、この記事では書きません。
③元夫と娘さんに関する情報
| 項目 | 内容 | この記事での扱い |
|---|---|---|
| 林秀彦さんの死去 | 2010年11月19日、肺炎 | 事実として書く |
| 娘さんの生年 | 1976年生まれ | 年のみ書く |
| 娘さんの名前・活動 | 一般の方 | 書かない |
| 息子さんの存在 | 冨士さんに息子はいない(1女のみ) | Wikipediaの記載に基づく |
④息子の話題について
検索で息子が一緒に調べられるのは、林さんと最初の妻との間にいたお子さんの存在が背景にあるようです。Wikipedia(林秀彦)には最初の妻との間の子が記されており、このお子さんは冨士さんの子ではなく、娘さんとは母が異なるきょうだいの関係にあたります。
整理すると、冨士さんのお子さんは、林さんとの間の娘さん1人です。冨士さんに息子さんがいるという記載は、確認できる資料にはありません。家族関係が複雑に見える人物ほど、親子関係を整理して読むことが大切です。
出典元:Wikipedia(林秀彦) / Wikipedia(冨士眞奈美)
徹子の部屋に出演する88歳の現在
結論から言うと、冨士眞奈美さんは88歳の現在も活動を続け、2026年1月26日の『徹子の部屋』に出演しました。。
①2026年1月の出演
ABEMA TIMES(2026年1月27日)によると、冨士さんは1月26日放送の『徹子の部屋』(テレビ朝日系列)に、俳優の加賀まりこさんと出演しました。60年来の親友で、出会った頃から「眞奈美」「まりこ」と呼び合う仲だそうです。
冨士さんは、朝のメイクをしながら、自分の容姿に「あんまり皺くちゃでガックリきちゃった」と漏らしたと伝えられました。
②活動を絞った近年
Wikipediaによると、2019年現在は、加齢のために意図的に活動を減らしているそうです。同年公開の映画『ばあばは、だいじょうぶ』では、認知症を患った祖母役で出演し、久々のスクリーン復帰作になりました。
週刊女性PRIMEの連載「古今東西つれづれ話」では、今も自ら筆を執り、思い出を語っています。
③近年の主な出来事
| 時期 | 出来事 | 出典 |
|---|---|---|
| 2019年 | 映画『ばあばは、だいじょうぶ』に出演。活動を意図的に減らす | Wikipedia |
| 2022年〜2023年 | 週刊女性PRIMEで連載「古今東西つれづれ話」 | 週刊女性PRIME |
| 2026年1月26日 | 加賀まりこさんと『徹子の部屋』に出演 | ABEMA TIMES |
④現在の年齢
1938年1月15日生まれの冨士さんは、2026年10月時点で88歳です。元夫の林秀彦さんが76歳で亡くなったことを思うと、長く活動を続けていることが分かります。
健康や暮らしの詳しい状況は、公表されていません。88歳を過ぎてもテレビや連載で語り続ける姿は、同世代の方々にとって励みにもなるでしょう。動画サイトの扇情的なタイトルは、根拠が確認できないため、この記事では扱いません。
出典元:ABEMA TIMES(2026年1月27日) / Wikipedia(冨士眞奈美) / 週刊女性PRIME 冨士眞奈美さんの連載(2023年3月21日号)
冨士眞奈美の経歴と俳人としての顔
結論から言うと、冨士眞奈美さんは、女優だけでなく、俳人、随筆家としても知られています。。
①女優としての歩み
Wikipediaによると、冨士さんは1956年にNHKのドラマ『この瞳』の主役に抜擢されてデビューしました。1957年にNHK専属女優の第一号となり、馬渕晴子さん、小林千登勢さんとともに「NHK三人娘」と呼ばれて人気を博しています。
俳優座付属養成所の第9期生として、3年間、演技の基礎も学びました。1970年の『細うで繁盛記』では、少女時代を過ごした三島の経験を活かし、方言指導も買って出たそうです。
②俳人としての活動
冨士さんの俳号は「衾去(きんきょ)」です。俳句を始めたきっかけは、俳人の中村汀女さんが『テレビ句会』という番組に出演したことだと、Wikipediaは書いています。
文化人としての顔も広い人物だと言えるでしょう。趣味は相撲と野球の観戦、俳句、イタリアオペラ鑑賞です。長嶋茂雄さんや野茂英雄さん、大谷翔平さんのファンだそうです。
③経歴の整理
| 分野 | 内容 | 出典 |
|---|---|---|
| 女優 | 1956年に『この瞳』でデビュー。1957年にNHK専属女優の第一号 | Wikipedia |
| 俳人 | 俳号は衾去。句集など著書が多数 | Wikipedia・週刊女性PRIME |
| 随筆家 | エッセイや小説の執筆を続けた | Wikipedia |
| 親友 | 黒柳徹子さんとNHK専属時代から親交が深い | Wikipedia |
④結婚期間中も続けた文筆
女優業を休んだ10年間も、冨士さんは、エッセイや小説の執筆などの文筆業は続けていました。連載では、PTAの役員など、新しい役柄を楽しんだとも書いています。
結婚が、冨士さんの人生の幅を広げた、と見ることもできます。1970年から1971年のドラマ『おくさまは18歳』では渋沢民子役を演じるなど、休業前の活躍も華やかでした。ただし、これは私の感想です。
出典元:Wikipedia(冨士眞奈美) / 週刊女性PRIME 冨士眞奈美さんの連載(2022年4月18日)
冨士眞奈美の夫についてのまとめ
結論から言うと、冨士眞奈美さんの夫は脚本家の林秀彦さんで、1974年に結婚して1984年に離婚し、林さんは2010年に亡くなりました。。最後に、記事全体の要点を整理しておきますね。
①確認できたことと、確認できなかったこと
確認できたのは、夫が林秀彦さんであること、結婚が1974年、離婚が1984年であること、慰謝料も養育費もなく別れたと本人が書いていることです。
確認できなかったのは、離婚の具体的な理由や、離婚時期とドラマ復帰の前後関係、息子さんの存在です。
②情報の見分け方
本人の連載とWikipediaを軸に、動画サイトの憶測を分けて読むだけで、情報の確かさは見分けられます。とくに、一般の方である娘さんの情報は、慎重に扱いたいところです。
最後に、記事全体の要点をまとめます。
- 冨士眞奈美は1938年1月15日生まれで、2026年10月時点で88歳である
- 夫は脚本家の林秀彦で、1974年に結婚した
- 林秀彦は1934年生まれで、3度結婚した脚本家である
- 結婚した30代半ばの頃、先輩女優の言葉にハッとして決断した
- 結婚後の約10年間は、夫の意向もあり、ドラマや映画に出なかった
- 夫の仲間が毎日のように遊びに来る、にぎやかな結婚生活だった
- 1976年1月8日に、娘が誕生した
- 1984年に離婚し、慰謝料も養育費もなく別れたと本人が書いている
- 離婚の理由を、本人が明確に語った記録は確認できない
- 離婚後は『エプロンおばさん』などで女優業に復帰した
- 林秀彦は、2010年11月19日に肺炎で亡くなった
- 冨士眞奈美に息子はおらず、お子さんは娘1人である
- 2026年1月26日に、加賀まりこと『徹子の部屋』に出演した
- 女優のほか、俳人、随筆家としても知られている
- 娘など一般の方のお名前は、この記事では掲載しない
出典元:Wikipedia(冨士眞奈美) / Wikipedia(林秀彦) / 週刊女性PRIME 冨士眞奈美さんの連載(2022年4月18日) / 週刊女性PRIME 冨士眞奈美さんの連載(2023年3月21日号)

