今回は俳優の仲代達矢(なかだい たつや)さんについてみていきましょう。
仲代達矢には息子がいるの?
俳優座養成所出身の仲代達矢さん。
『七人の侍』の脇役でデビューし、『幽霊』『火の鳥』『黒い河』などの映画で注目を浴びます。
私生活では俳優座所属の女優であった宮崎恭子さんと結婚しました。
妻・宮崎恭子さんとは1955年に舞台『森は生きている』での共演がきっかけで交際し、1957年に結婚しています。
その後、家庭と無名塾の両立で多忙な毎日を過ごしましたが、夫婦二人三脚で乗り切りました。
宮崎恭子さんは一度お子さんを授かりますが、1962年に死産してしまい、その後夫婦の間にはお子さんは授かりませんでした。
そのため、宮崎恭子さんの妹である宮崎総子さん(アナウンサー)の娘・奈緒さんを養女に迎えています。
宮崎恭子さんの娘となった奈緒さんは、「仲代奈緒」の名で歌手デビューしています。
その後、宮崎恭子さんはガンを患い還らぬ人となってしまいました。
仲代達矢の息子が滝藤賢一の噂は?
お子さんはいらっしゃらないことが分かった仲代達矢さんですが、俳優の滝藤賢一さんが息子では?という噂が浮上しています。
しかし、もちろん息子ではなくて、仲代達矢さんの弟子が滝藤賢一さんなのです。
俳優養成所「無名塾」での師弟関係だっただけで、親子ではありませんね。
俳優の滝藤賢一が、4月27日放送の『あさイチ』(NHK)に出演した。
19歳で芝居を始め、20歳で仲代達矢が主宰する「無名塾」へ入った。
主な活動は舞台のみで、アルバイトしながらの食えない役者だったという。
大吉に10年以上の下積みを「どうやって耐えたのか?」と聞かれ、滝藤はこう明かす。
「仲代さんに『自分を磨きなさい。君は40歳からが勝負だ』とずっと言われていたので。それを信じて、我慢、我慢でした」
番組では「なんども(田舎に)帰ろうと思った」と語っていた滝藤。
大先輩のアドバイスが、彼を踏みとどまらせ、成功へと導いてくれたのだ。
仲代達矢さんの言葉どおりに、遅咲きながらブレイクを果たした滝藤賢一さん。
いまでも感謝してもしきれないようです。
仲代達矢の現在の活動ついて
昔に比べてメディアでの露出は少なくなっている仲代達矢さんですが、現在も俳優として活躍しています。
2010年(平成22年)、久々の主演映画『春との旅』が公開され、日本映画批評家大賞ダイヤモンド大賞(荻昌弘賞)、イタリアのAsian Film Festival Reggio Emilia最優秀主演男優賞を受賞した。
スポンサーリンク同年にも2本の映画に主演しているが、うち『果し合い』は文化勲章受賞後の公開であり、受賞後に主演映画を公開した俳優は史上初である。
2017年にはさらに主演作『海辺のリア』が公開された。
このように、現在も俳優として第一線で活躍しています。
仲代達矢が現在死亡・死去したとの噂が?
高齢であることと、あまりテレビ番組で見かけないことから、仲代達矢さんにはたびたび死亡説が浮上します。
俳優生活60年になる仲代達矢さんですが、最愛の妻を失ったときに生きる意味を見失ったことがありました。
1996年6月、恭子さん他界。享年65。
夫あての遺書の一節に「あなたは強い人です。これを言えるのは私しかいないから言います。強いからこそ一流なのですが、孤独になります」とあった。
僕に強さがあったとしたら、宮崎恭子という相棒がいたからです。
彼女が亡くなり、手足をもがれたような喪失感のなかで切実にそう思いました。
後追い自殺すら考えました。
追い詰められていた仲代達矢さんですが、ニューギニア島などの南半球を1年がかりで回るドキュメンタリーの仕事が入ってきました。
周囲は反対しましたが、僕は独断で受けました。
恭子のいない日本から逃げ出したい気持ちでした。
小さなカヌーに乗っているとき荒波にもまれ、泳げない僕は「これで死ねるな」と感じていました。
でも、南半球を回って1年、旅の果てに思ったのが「大自然のなかで人間なんて小さい。ぶっ倒れるまでやろう」でした。
以来、現役も無名塾も続けています。
この先、足腰の立つ限りやり、ほんとに限界と思えば自分でタオルを投げますよ。
仲代達矢さんは世界をまわって自然に触れて、生きる希望をとりもどしたようですね。
仲代達矢は俳優養成所「無名塾」創立者!
仲代達矢さんは亡き妻・宮崎恭子さんとともに「無名塾」を創立し、後輩たちの養成を開始しました。
1979年(昭和54年)には俳優座を退団。
以後は無名塾公演で、脚本・演出を妻に任せ、自分が出演する形で演劇を継続してきた。
俳優座時代、また無名塾公演でも多くのシェイクスピア作品に主演、日本を代表するシェイクスピア俳優でもある。
無名塾で後進の指導をするかたわら、自身も役者として数々の映画に出演していました。
映画では1980年(昭和55年)の『影武者』で、監督・黒澤明との確執で降板した勝新太郎の代役として、急遽主役に抜擢され、同作はカンヌ国際映画祭でグランプリを受賞した。
同年には『二百三高地』にも主演、人情味をたたえた乃木希典を演じている。
1982年(昭和57年)には『鬼龍院花子の生涯』で、傲岸で気性の激しい土佐の鬼政こと鬼龍院政五郎を演じ、全くタイプの異なる役柄を演じ分けた。
仲代達矢さんは時代劇・現代劇どちらも演じられる俳優として引っ張りだことなり、『忠臣蔵』『大地の子』『秀吉』などが有名ですね。