元旦那からひどい仕打ちを受けながらも3人の息子を育てている古村比呂さん。
現在の子宮頸がんのステージはどのくらい進行しているのでしょうか…。
ドキュメンタリー番組で発覚した3人の息子が抱える問題とは一体どんなことだったのでしょうか?
目次
古村比呂の息子3人の画像
1992年、ドラマで共演した布施博と結婚、同年に長男、1993年に次男、1997年に三男と、3人の息子をもうける。
その後もドラマやNHK教育テレビ「母と子のテレビタイム(日曜版)」などにも出演。
2006年7月、約7年ぶりに舞台出演。
上の画像の3人の男の子が古村比呂さんの息子さん達です。
父親はドラマで共演し恋に落ちた布施博さん。
残念ながら現在は離婚されていらっしゃいます。
古村比呂と元夫・布施博の離婚後、親権は母親に
2008年12月、家庭裁判所に離婚調停を申請。
2009年4月、古村の主張が認められ、布施博との離婚が成立した。
なお三人の息子の親権は古村が持つことになった。
古村比呂さんと布施博さんの離婚は泥沼だったと言われています。
二人が結婚したのは1992年、1995年には布施博さんの浮気が発覚しました。
3人の息子さんが生まれているということと、長男が23歳・次男が22歳・三男が18歳なので…。
計算上は浮気が発覚しても、その頃はまだ夫婦仲が修復できていたようです。
いまだに離婚理由ははっきり明らかにされていませんが…。
古村比呂さんが離婚の話を持ちかけても、布施博さんは全く応じず3人の息子の養育費さえも払っていなかったと言われています。
「行列のできる法律相談所」で息子たちの顔写真が流出?
<昨日 夜 ある番組に我が息子たちの写真 映像が一つのキーワードとなって、オンエアされたと知りました。
息子たちも、私も全く知らなかったのでとても驚いています!!
本人たちの了解なく テレビ番組が作られてしまうとは…>
3月4日、自身のブログにこんな文章を綴ったのは古村比呂(47才)だ。
彼女がいう“ある番組”とは、前日の3月3日に放送された人気番組『行列のできる法律相談所』(日本テレビ系)のこと。
この日のゲストのひとりは、2009年4月に離婚した前夫・布施博(54才)だった。
布施は『行列~』で、古村と離婚して2年が経った頃から、毎晩のように井上が夢に出てくるようになり、異性として意識し始め、その後、猛アタックしてゴールインに至ったと明かした。
番組ではさらに、現在は離れて暮らしている古村との間に誕生した3人の息子たちについても言及。
離れていても、父親として何か力になりたいと考え、音楽活動をしている長男のライブに照明担当として参加し、裏方として支えたというエピソードを語った。
自分の部屋には3人の息子の写真が飾られていることも明かし、その写真を公開までしたのだった。
離婚後、布施博さんは自身の主宰する劇団員に所属していた14歳年下の井上和子さんと再婚しました。
上の画像の左側の女性が井上和子さんです。
布施博さん、息子たちへの想いが溢れ出る程、大事に想っていらっしゃるのですが…。
新しい奥様と行列のできる法律相談所に出演した際、古村比呂さんに何の相談もせずに、息子たちの写真を公開してしまったんだそうです。
写真を公開する影響を考えれば、古村比呂さんが怒り心頭だったのも当たり前のことですよね。
古村比呂の息子の学校はどこ?
現在、長男が25歳。
二男が24歳。
三男が20歳。
3人とも成人されてます。
子供さんの名前を調べましたが、公表されてないみたいです。
隠してるてわけではないでしょうけど、ネットにも古村比呂さんの息子さんの名前の情報が上がってません。
三人の息子さんの通う学校に関しても、まったく情報がないですね。
特に有名なお坊ちゃま学校に通ってる感じではなさそうです。
離婚後はいろいろな問題があったようですが、古村比呂さんは愛情をいっぱい注ぎながら3人の息子を育てていらっしゃったようです。
現在長男が25歳、一番下の子も20歳になったよそうです。
上の画像の通り、なんだかとっても温かい家庭の匂いがしそうな雰囲気です。
残念ながら息子さん達がどの学校に通っているかについては公表されていないそうです。
古村比呂の息子が2chのスレで話題になってるの?
女優の古村比呂が12月3日更新のブログで、「怒りの行方」と題し、あるテレビ番組に対する怒りを明かした。
古村は<実はある日観たTVの内容がえげつなさ過ぎて だったらTVを観なきゃ良いのですが 気になり過ぎで最後まで観てしまいました。
結果「なんて内容だぁ」と怒りが込み上げて来ましてだにその感情が収まらないようです><そろそろ怒りの感情は時と共に消える頃なのに「オイオイ、どうした?!」 中々消えず状態です>と綴っていた。
番組名は伏せているが、放送日が11月25日だったことは明らかにしている。
11月25日には、古村自身も登場する『ザ・ノンフィクション「母さんがガンになって 僕が考えたこと」』(フジテレビ系)が放送されていた。
闘病生活を送る古村の3人の息子たち、主に長男に密着した内容で、ナレーションも長男が務めているほか、闘病中の古村の様子も長男が撮影。
無論、番組が放送されることは古村も承諾していただろうが、実際に放送された番組を見て古村はなぜそんなにも怒りが込み上げたのだろうか。
『ザ・ノンフィクション』によると、古村の3人の息子たちは、全員フリーターだ。
26歳の長男・拳人さんの夢は映画監督だが大学卒業後はアルバイト生活、25歳の次男・翔悟さんの夢はプロのミュージシャン、21歳の三男・大海さんは高校卒業後ゲーム三昧で夢は模索中。
全員、収入は安定していない。
この放送内容のどのあたりを「えげつなさ過ぎ」と感じ、「怒り」がこみ上げたのか、古村は詳細を明かしていないが、長男の拳人さんがナレーションを務めていたこともあってか、番組では闘病生活を送る母親から自立できない3人の息子たちの「甘さ」や「情けなさ」が強調されていた印象がある。
たとえば拳人さんに対して、「大学を出ていながらなぜ就職しない?」、三男の大海さんに対して「夢が見つからないなら尚更大学に進学すべきだったし、家でゲーム三昧の日々を送ることを母親の古村はなぜ認めたのか?
母親ががんで闘病しているのになぜ自立を決断しない?」といった疑問を抱くのが自然な構成となっていた。
古村比呂さんの息子たちが2chで話題になっている…というのでその理由について調べてみました。
実は古村比呂さんは現在癌と闘っており、その病状はかなり深刻なものだと言われています。
今後、母がいなくなってしまった場合息子たちがどう生きていくのか…。
ザ・ノンフィクションという番組が特集を組んで放送したのですが…。
3人の息子たち、3人揃って誰も仕事についていなかったのです。
全員フリーターでした。
恐らく母一人の稼ぎで大学まで卒業させていたけれども、長男は大学卒業後アルバイト生活…。
次男はミュージシャン目指してフリーター。
三男は高校卒業後ゲーム三昧。
母が癌に侵されているというのに全員収入が安定していなかったのです。
番組内ではそのことに危機感を感じている長男の姿が映し出され、今後は頑張って仕事を探していくような雰囲気がありました…。
しかし母親が癌で闘病中にもかかわらず、たった一人で仕事をしている状態…。
3人の息子たちが3人ともフリーターということだったので、2chでは話題になってしまっていたのです。
古村比呂の子宮頸がんのステージについて
吉村比呂さんのがんは、子宮頸がんからの転移であるわけですが、がんの広がりがまだ骨盤壁にまで達していない状態がステージ3と表されます。
しかし肺に転移したとの事ですのでステージ4。
そのステージ4にも段階があり、ステージ4aは膀胱や腸粘膜に広がった状態、そしてさらに進んだステージ4bというのが肺にまで転移した状態だそうです。
スポンサーリンクつまりがんとしては本当に末期の状態だということです。
優しすぎるお母さん、古村比呂さんの癌は、少し前まで骨盤壁に達していないステージ3でしたが…。
現在は肺に転移してしまいステージ4に上がってしまいました。
詳しく言うとステージ4の中でも末期の状態を指すステージ4 Bだそうです。
古村比呂がガン治療をした病院はどこ?
「食べられないうえに、全身がかゆくなったり、手がどす黒くなったり、指先がしびれてものを持つのもつらくなるんです」
治療のために片道40~50分かけて都心の大学病院まで通った。
「朝6時に家を出て電車に乗るんです。病院ではまず受付に並んで、受付番号をとって検査、採血をします。その結果が出る10時頃まで待って、治療を受ける部屋に入るんです」
検査の結果によっては、「今日の体調では治療ができない」と判断されて、そのまま帰ることも。
「大変じゃないといったらうそになりますけど、これも1つの治療だと思うことにしました。
人混みで行動するのは、刺激が違いますよね。
それがリハビリになるってどこかで教わったのか、自分でそう思うようになったのか、よくわからないけど。
駅の階段の上り下りは、“今日はしんどい”とか“今日は調子いい”とか体調のバロメーターになるんです」
癌の末期の症状ですが、癌になったことがない人には想像できないほど、惨めに感じてしまう症状がこれでもかと言うくらい襲ってきます。
それでも電車に乗って通院しなければならず、当然周りの人は「自分が癌ということ」に気が付かないので、普通の人のふりをしなければなりません。
家族に癌になった人が電車に乗っていれば気が付いてくれて、席を譲ってもらえるかもしれませんが…。
しかし大抵人はそれぞれ自分のことで精一杯ですよね。
古村比呂さんは癌のステージ4ながら仕事をしながら、片道40分もかけて電車で都心の大学病院に通っているそうです。
病院がパニックになるといけないということで今のところ病院名は明かされていません。
息子たち、一歩前に出るのは辛いかもしれませんが…。
今母のために頑張ることが将来必ず自分のためにもなってくると思うので、どんな仕事でもいいから頑張って就職することをお勧めします。
「お母さん僕就職できたよ」その一言が古村比呂さんの一番の薬になるのではないでしょうか。
古村比呂の現在の病状や余命は何年なの?
がんの再々発を公表した女優の古村比呂が28日、自身のブログを更新。
直近の治療で、白血球数が減少していることにより抗がん剤治療が延期になったことを明かした。
約6時間から7時間をかけて、採血から診察、治療を受けるという古村。
手軽に食べられる2食分を用意して病院に向かうというが、その日の診察では「今日は白血球数が少なくて抗がん剤治療ができず延期となります」と伝えられたという。
治療を受けられない状況に、「抱えてきた気合いがヒューとしぼんだ風船のようにちっちゃくなっちゃった」と心境を吐露。
思わぬ形で時間ができてしまい、「診察室を出てラウンジで予定外の朝食」を取ったという。
そして「~抗がん剤治療の重たさ~ ~免疫力ダウン~」と続け、「細胞たちがどんな状況でいるのか、一口一口食べながら思いを馳せた」と、当日の状況をつづった。
古村は11年に子宮頸(けい)がんを発症し、12年3月に手術を受けた。
17年3月にがんが再発。
1カ月の治療で再び治癒したとされていた。
しかし、去年の11月にがんが再々発。
肺とリンパ節にがんが見つかったことを今年2月になって公表した。
1月から抗がん剤治療を開始したことも明かした。
現在の状況として「限りなくレッドカードに近い イーカードの細胞たちのサイン」と、体の回復が遅れていることにショックの大きさを表現。
それでも最後は「気がつくのが疎い私 『ごめんね 今まで以上に労わるからね』と、白血球数アップに向けて改めて気合い注入となりました」と、前を向いた。
癌の末期では病院で約6時間から7時間も治療を受けなければなりません。
手軽に食べられる2食分を用意して病院に向かう古村比呂さん。
息子の誰でもいいから母と一緒に通院してあげたら…なんて思ってしまいます。
古村比呂さんは今まで以上に苦労をかけてごめんねと口にしますが、母が生きていてくれるだけで息子たちがどんだけ嬉しいか…。
母の方も気がついていないのかもしれませんね。
古村比呂はガンに苦しむも「息子がいるからあきらめない」
◆悲劇のヒロイン気取りの自分に気づいた
この通院の途中で、人生観が変わるような体験をした。
「ある日、いつものように電車のホームに着いて、売店で水を買おうとしたとき、すさまじい急ブレーキの音がしたので、思わず振り向いたら、その電車に向かって飛び込んだおじいさんがいたんです。
若い運転士さんの“やめてくれ”という形相も目に飛び込んできました。
次の瞬間、“生と死ってなに?”と考えていました。
私は今、懸命に生きようとして、必死で命をつなごうとして、ここにいる。
同じ場所に、自分から命を絶ってしまった人がいる…」
あまりに強烈な体験だったため、【目の前で人身事故があり、電車止まった。病院行けないどうしよう】と息子たちにメールした。
「するとすぐに次男から返信がありました。
【そんな日もあるさ】。
え? これだけ?(笑い) 【大変だったね】とかいたわりの言葉が返ってくると思っていたのに“ガクッ”ですよ。
その瞬間に目覚めたんです。
私は自分でつらさを“盛ってる”だけなんじゃないかって。
勝手に悲劇のヒロインを気取ってるんじゃないよって感じですね(笑い)」
張りつめていた心の糸がゆるんで、かえって気持ちが楽になった。
「苦しみや悩みを抱えて生きているのは、私だけじゃない。
ほかの病気のかたも、地震などの災害に遭ったかたもそうでしょう。
誰にでも時間は平等に与えられていると思うと、前を向いて24時間どう自分らしく時間を刻んでいくか、と考えられるようになったんです」
とはいえ、自暴自棄になる日も。
「落ち込んでキッチンに立つと、鍋やお玉が凹むほど八つ当たりしてしまう。
でも、不思議なもので、ひとりでいるときは抑えられるんです。
息子たちがいるときの方が、何かあっても大丈夫かなと思って、爆発する(笑い)。
息子たちは冷静ですから、それで救われるんです」
古村比呂さんが通院している途中、偶然電車に飛び込んだおじいさんを目撃してしまいます。
命が惜しくて仕方がない古村比呂さんの前に、自分から命を捨てた一人のおじいさんがいたのです。
自分が癌のステージ4で、その通院途中に誰かが電車に飛び込む姿を見てしまえば、きっと気絶してしまうのではないかと思います。
古村比呂さんはすぐに息子たちにメールしたんだそう。
すると次男は「そんな日もあるさ」と意外な言葉を返しています。
中にはこんな軽い返事ありえないと思う人もいるかもしれませんが…川の流れのままに人生を送ろう…なんて風に気楽に考えれば…。
そんな日もあるさという言葉って案外素敵なんじゃないかと思うのです。
母が驚いた瞬間、あれよこれよと人生観を語るよりも、そんな日もあるさという言葉が気持ちを楽にさせてくれる…古村さんにはとってもぴったりな言葉だったのかもしれません。
残念ながら人はいい時もあれば悪い時もある。
周りの人が死ぬほど羨ましく見えるくらい辛い時期ってありますよね。
古村比呂さんは次男のおかげで悲劇のヒロインを気取ってる場合じゃないそんな風に明るくなれたようです。
そんな古村比呂さんは自暴自棄になるくらい落ち込んでしまう日があるんだとか。
鍋やお玉がへこむほど八つ当たりしてしまうなんて、結構やらかしているなと思いましたが…。
そんな風に表現する日は必ず家に息子さん達がいるんだそうです。
3人ともフリーターで働いていないかもしれませんが…古村家は今日も明るく笑いが絶えない…。
人は就職してしまえばその日からフリーターではなくなります。
つまりたった1日で人生なんて変えることができるのです。
それよりもっと難しいのは、家族が仲良く暮らすこと。
古村比呂さんの3兄弟は、就職するより難しい、優しい心というものをお母さんから教わっているのかもしれませんね。