おもちゃコレクターの北原照久。
なんでも鑑定団でおなじみですね。
そんな北原照久ですが、結婚して子供はいるのでしょうか?
いるとしたら息子なのかどうか気になります。
また、自宅が凄いと話題らしいのですが、何故なのでしょうか。
今回は北原照久について調べてみました。
北原照久には息子がいるの?
北原照久は、大学時代からの知り合いの女性と結婚しています。
奥様の名前は旬子さん。
年齢は北原照久より1つ下なんだそうです。
そんな嫁との間に息子が一人いました。
名前はわかっているのでしょうか。
北原照久さんの息子さんは宏晃さんです。
一人息子のようですね。
何をしている人なのでしょう。
息子さんは北原ミュージアムの中にある「ハッピーデイズカフェ」というお店でシェフをしているようです。
仕事はシェフなんですね!
しかも北原ミュージアムの中ということで、父親が経営する場所で働いていました。
父親と同じおもちゃコレクターにはならなかったんですね。
シェフということですが、腕前はどうなのでしょうか。
お客さんの口コミがありました。
ハッピーデイズカフェに行ったらビーフカレーとカツサンドとアイスクリームをぜひ。
北原宏晃シェフの腕前は確かです。
腕前もいいみたいですね。
父親はおもちゃに、息子はシェフという道に、それぞれプロとして向き合っているようです。
また、息子は2016年に結婚したようですね。
結婚披露宴に参加した人のブログを見つけました。
北原照久さんと旬子さんの息子さん、宏晃さんと真理子さんの結婚披露宴に参加させていただきました。
という文章とともに、写真も添えられていましたよ。
息子の嫁は真理子というみたいです。
さぞ豪華な披露宴だったんでしょうね。
ほかの写真を見ても、ため息の出るような豪華さでした!!
北原照久夫妻の姿もありましたよ。
一人息子の結婚とは、感激するものがあったのではないでしょうか。
北原照久の自宅が豪邸と話題!住所はどこ?
北原照久の自宅が話題になっています。
何が凄いのでしょうか。
昭和初期に旧竹田宮別邸として建造され、戦後はイギリス人の邸宅として時を刻んできた。
相模湾を一望する500坪の敷地に、2LDK・プール付きのゲストハウスと自宅として使う2LDKの離れが建つ。
凄いところに住んでいるんですね!
写真もありました。
見るからに豪邸です。
さらに詳しい情報がありました。
佐島マリーナで有名な佐島は神奈川県の三浦半島、逗子、葉山の南に位置していて、横浜からは車で1時間くらいの距離にあります。
スポンサーリンク佐島の家というのは北原さんの最高にして最大のコレクションという、『海を庭にしてしまった家』としてテレビで何度も紹介されている白亜の豪邸のことです。
正確な住所はわかりませんが、自宅は佐島にあるんだそうです。
海を庭にしてしまった家、なんて素敵な表現ですね~。
また、ゲストハウスの地下には、そのまま海に出られるボートの停泊場も設置されているなど、日本では珍しい設計になっているそう。
地下から海へ!!設計にもすごくこだわって作った自宅なんですね。
自慢の自宅に違いありません。
この家を手に入れるまで、北原照久はとにかく「この家を手に入れる」と願い続けたそうです。
この家の写真を見たときはもう一目惚れ、“ここだ!”と思いました。
もちろん当時はとても手の出る値段ではありません。
でも、夢は叶えるもの。“叶える”という字は、口に十と書きますよね。
だから僕はいつかこの家に住むんだ、と事あるごとに色んな人に話していました
人に宣言することで、夢に近づいてくるってあると思いますよ。
そうして、徐々にこの家を手に入れる道へ近づいていきます。
結果、1998年に、北原照久はこの家を手に入れることに成功しました。
手に入れてからは、「家をもとの形に」と、リフォームを何度もしたそうです。
しかし、そこから始まったのは、リフォームの日々だった。
海の上に建つ邸宅は、ロケーションは最高だが建物にとっては厳しい条件が揃う。
海の潮風、湿気と乾燥を繰り返す環境で、内装・外壁問わず、ひび割れが目出つボロボロの状態。
5年ほど空家になっていたこともあり、建造当時の状態に戻すまでには1年の歳月を要したという。
一年の歳月をかけて、北原照久自慢の自宅が完成したというわけですね。
北原照久の実家はどこ?
北原照久の実家についても気になっている人が多いようですね。
実家について調べると、こんなことが書いてありました。
昭和23年から、実家は東京でスキーショップと喫茶店を営んでいたんですよ。
戦後すぐの時代、とても珍しくて、たくさんのお客様に来ていただきました。
南志賀(長野県)の山田牧場という所にスキーロッジも持っていまして。
北原照久の実家は、東京で喫茶店をやっていたんですね。
戦後にそういうお店は珍しかったみたいです。
スキーショップも一緒にやっていたということで、北原照久もしょっちゅうスキーをやっていたようですよ。
そのせいで、こんなエピソードもありました。
実家がスキーショップとスキーロッジも経営していたために、北原照久さんは学生時代も顔が真っ黒で、最初会った時に奥様は漁師さんなのかと勘違いしたそうです。
漁師と間違えるほど顔が焼けるって、相当黒かったんですね(笑)
実家の商売は繁盛していたみたいで、お金には困ってなかったようですよ。
実際、北原照久はスキー留学をするなど、裕福な家庭だったと想像できます。
父親が亡くなった後は、お兄さんと一緒に北原照久も実家を手伝っていたそうです。
その時にはすでにおもちゃへの情熱を秘めていて、途中でその道に専念し、今の地位を得ました。
何かに没頭できるっていいですね。
これからも、いろんなおもちゃで我々をあっと言わせてほしいです。