桂文福さんは1953年生まれの落語家で、本名は田中登さんといいます。
一度サラリーマンを経験していますが、昭和47年に桂文枝師匠に入門し、落語の道に入りました。
また相撲好きとしても有名で、大相撲評論家としても活躍されています。
恰幅のいい体型で明るく我々を楽しませてくれる桂文福さんについて、今回はまとめていきたいと思います。
桂文福には息子がいるの?
桂文福さんのお嫁さんのブログに「息子」というワードが出てきますので、息子さんがいらっしゃるようです。
その日はBも息子も夜、そろうので一緒に夕飯を!って事でこの間、もちもち寄席のウチアゲで好評だったレタスと餃子の鍋にしたそうです。
桂文福師匠の息子さんで、瓢箪山駅で生まれたことが縁で「瓢太郎」と名付けられた彼が、父親である師匠の下に弟子入りし、昨日が初舞台!だったということです。
どうやら桂文福さんの背中を追って、落語家になろうと頑張っているみたいです。
調べてみると2014年に桂文福さんに弟子入りし、芸名・桂鹿えもんとして活動されています。
同じ道を目指してくれるなんて、父親としてとても嬉しいでしょうね。
これからの活躍が楽しみです。
桂文福は吃音を克服した?
そもそも吃音とは、主に言葉を発する際に言葉に詰まってしまう症状をさします。
言葉そのものを発するときに詰まってしまう難発型、最初の一音が伸びてしまう伸発型、同じ単語や音を繰り返してしまう連発型の3種類があります。
そして桂文福さんは3歳の頃から吃音症に悩み、「人前で話せるようになりたい」と心の支えであった落語の道に入ることを決意されたようです。
桂文福さんは小さなころから吃音だったらしいですが、落語の世界に憧れて5代目桂文枝に入門
その後、師匠のすすめもあって吃音やナマリをそのままだした新作落語に取り組んでいます。
相撲甚句、河内音頭などは有名
時々テレビ出演されているのを拝見しますが、桂文福さんは吃音を完治させたわけではなく、吃音を自分の強みに変えて活躍されている方です。
調べていると途中までは吃音について公にせず活動していたみたいですが、師匠のアドバイスにより吃音を個性として新しい落語に取り組んでおられるようです。
吃音のハンデを持ち前の明るさと重量級のパワーと、おそろしく早い切り替えの良さと、迷惑なほどのサービス精神、ストレスを家族に当たり散らさないことで乗り換えて来ました。
演芸が好き、落語が好き、舞台が好き、何より皆さんに喜んでいただくことだ大好きで、40年間落語を続ける事ができるのだと思います。
今な亡き、五代目桂文枝師匠の、『文福、お前、文福落語でやったらいいんやで』のこの言葉があったから、これまで続けて来れたのだと思います。
そうして努力された結果、有名になり何人ものお弟子さんがいらっしゃるということは、同じ吃音に苦しんでいる方々にとって希望に光なりますね。
桂文福は現在どうしてる?
桂文福さんの公式HPを拝見していると、公演情報が掲載されていたのでチェックしてみました。
10/1(月)
東吉野村敬老会
<会 場>奈良県吉野村
10/9(火)
和歌山芸能県人会、施設訪問ボランティア演芸界
※私が会長を務め20年目を迎える和歌山芸能県人会(紀州つれにて会)の有志
今回は20人の歌手、腹話術師、漫才師、落語家、マジシャン、タップダンサーらがグループに分かれて、それぞれ同時に5ヶ所の施設(今年は御坊、印南地域)を訪問しもちネタを披露して、ふるさとの皆さんに恩返しします。
文福はカルフール・ド・ルポ印南(いなみ)という特養老人ホームに参ります。
昼1:30の予定。ボランティア演芸会・歌謡ショーを終えて夕方から会員一同、私の母方の里、御坊で楽しい飲み会になるでしょう。
10月だけでも16個のスケジュールが入っており、お忙しく活動されているようです。
またスケジュールの種類も様々で、ラジオの収録や寄席に警察防犯の会など多岐にわたっています。
こちらご本人の今月のメッセージから抜粋しました。
●今月は繁昌亭と喜楽館の昼席の出番が続き14日間連続の寄席出演とはうれしいことです。
他にも各地で楽しい舞台がありはりきっております。
ちなみに7番弟子「鹿えもん」が9月24日から30日まで1週間はじめて天満天神繁昌亭の昼席に出して頂きました。
きりがいいことに、この出番の千秋楽の9月30日で入門丸4年。10月1日より年季明けをさせました。
彼なりになんとかがんばったと思います。
これからも変わらず元気に、私たちを楽しい気分にさせてほしいですね。
明るい気分になりたいな、思いっきり笑いたいなと思う方は、ぜひ桂文福さんに会いに行ってみてはいかがでしょうか。