うじきつよしさんがなぜ消えたと言われるのか、今は何をしているのか、気になって検索された方も多いのではないでしょうか。
結論から言うと、うじきさんは消えたのではなく、1990年代から2000年代前半にかけてのテレビ出演が減り、音楽を中心にした活動に軸足を戻しただけで、2026年も現役でライブを続けています。
1988年にバンドの活動を休止し、俳優やクイズ番組で活躍したあと、2004年からは『サンデープロジェクト』のメインキャスターを2年半務めました。2011年にバンドを再始動し、2025年にはデビュー45周年の記念ライブも開いています。
うじきさんは1957年9月18日生まれの69歳で、2014年に結婚し、2015年に公表しました。息子さんなど、お子さんについては公表されておらず、確認できない話は事実として書いていません。
この記事では、消えたと言われる理由、現在の活動、家族の話を、確認できた出典と、確認できなかった点を分けて整理しました。内容は2026年10月時点の情報です。
◆記事のポイント
- うじきつよしさんは消えたのではなく、テレビ出演が減り、バンド活動中心に戻った
- 1988年のバンド休止、2004年からのサンデープロジェクト、2011年のバンド再始動が節目
- 2026年も子供ばんどのライブを続け、10月3日にはロックフェスに出演予定だった
- 2014年に結婚(2015年に公表)し、息子など子供の有無は公表されていない
※2026年10月15日時点で確認できた、Wikipedia、新聞社の記事、ライブハウスの公式サイト、ミュージシャンの公式な投稿などをもとにまとめています。奥さんなど一般の方のお名前は、掲載していません。
うじきつよしが消えたと言われる理由
- 消えたのではなく活動の場が変わった
- バンドが活動休止した1988年の経緯
- 俳優とクイズ番組で活躍した1990年代
- サンデープロジェクトは2年半で降板
- ドラマ出演が減った時期と最近の出演
消えたのではなく活動の場が変わった
結論から言うと、うじきつよしさんは、芸能界から消えたのではなく、テレビに出る機会が減り、音楽活動を中心にした暮らしに戻ったのが実際のところです。最近見ないと感じる方が多い理由と、確認できる活動を、年表で整理しますね。
①活動の年表
| 年 | 出来事 | 出典 |
|---|---|---|
| 1980年 | 子供ばんどでレコードデビュー | 読売新聞、Hyde Park Music Festival |
| 1988年 | バンド活動を休止 | Wikipedia、読売新聞 |
| 1989年 | 映画『226』で俳優デビュー。以降、ドラマやクイズ番組に出演 | Wikipedia |
| 2004年 | 『サンデープロジェクト』の2代目メインキャスターに就任 | Wikipedia |
| 2011年 | 子供ばんどを再始動 | Wikipedia、Hyde Park Music Festival |
| 2025年10月24日 | デビュー45周年記念ライブを恵比寿で開催 | サンスポ、読売新聞 |
| 2026年5月23日 | 下北沢でワンマンライブ | 下北沢CLUB Que |
②「消えた」と感じる人が多い理由
うじきさんは、1990年代にクイズ番組『カルトQ』の司会や、『たけし・逸見の平成教育委員会』の生徒としてテレビに頻繁に出演し、2000年代にも報道番組を担当しました。そのため、当時を知る人には、テレビで見る顔という印象が強く残っています。
一方、2010年代以降は、テレビの出演が減り、ライブハウスやコンサートホールでの活動が中心になりました。テレビを主に見ている方からは、いつの間にか姿を見なくなった、と感じられやすい状況です。
③「干された」説との違い
ネットでは、「干された」という言葉も見かけますが、これを裏づける資料は、今回の調査では確認できませんでした。本人の発言や、報道で明らかにされた降板の理由も、見当たりません。
確認できるのは、バンド活動の再開、記念ライブの開催、新しいアルバムの制作といった、本人が選んだ活動の記録です。次の見出しから、それぞれの節目を詳しく見ていきます。
出典元:Wikipedia(うじきつよし) / 読売新聞オンライン(2025年10月21日) / 下北沢CLUB Que
バンドが活動休止した1988年の経緯
結論から言うと、子供ばんどは1988年に活動を休止しました。理由として、読売新聞は、バンド内で活動方針をめぐって意見が食い違うようになったことを伝えています。ここが、うじきさんが一度、音楽の表舞台から離れた大きな節目です。
①休止までの歩み
読売新聞(2025年10月21日)によると、子供ばんどは高校時代に結成され、音楽コンテストの優勝をきっかけに、1980年にデビューしました。豪快なギターサウンドと、アマチュア時代から重ねたライブで鍛えた高度なアンサンブルで、人気を集めました。
1983年には、「海外で通用するバンドを目指す」と、アメリカに渡って、アルバムを出し、現地でライブも行っています。思ったほどの成果は上がらなかったものの、レコード会社の勧めをはねのけて、活動を続けました。
②休止の理由に関する2つの語り
| 出典 | 語られている内容 | 補足 |
|---|---|---|
| 読売新聞(2025年10月21日) | 活動方針をめぐり、メンバー間で意見が食い違うようになった | うじきさんの説明として紹介 |
| Wikipedia | 目標だった2000本のライブを終えた直後で、「もうやり尽くした」という心境だった | うじきさんの心境として記載 |
③アニメ主題歌のヒットと同時期の出来事
休止の直前の時期には、フジテレビ系のアニメ『北斗の拳』の主題歌『SILENT SURVIVOR』をバンドで手がけ、映画版の主題歌『ハート・オブ・マッドネス』もヒットさせました。人気が高まっていた時期の休止だった点も、印象に残る理由でしょう。
2つの説明は、矛盾するものではありません。やり尽くした気持ちと、意見の食い違いが、重なっていたと考えられます。ただ、休止に至る細かい経緯は、確認できる資料が限られています。
④休止前のバンドの評価
Wikipediaによると、子供ばんどは、頭にアンプを載せて演奏する、うじきさんのスタイルの影響で、色物と捉えられかねない面がありました。それでも、ライブパフォーマンスと演奏力は、高く評価されていました。
1984年には、ヤマハからうじきさんのシグネチャーモデルのギターが作られ、1985年5月に限定版が市販されています。人気と実力の両方があったバンドだったことが分かります。
出典元:読売新聞オンライン(2025年10月21日) / Wikipedia(うじきつよし)
俳優とクイズ番組で活躍した1990年代
結論から言うと、うじきさんは、バンド休止の直後に映画『226』で俳優デビューし、1990年代はドラマ、映画、クイズ番組と、幅広く活躍しました。テレビで見た記憶がある方は、この時期の活躍を思い出されているのではないでしょうか。
①俳優デビューのきっかけ
Wikipediaによると、バンドの活動停止の直後、映画監督の五社英雄さんから呼び出しを受けたそうです。芝居の経験を聞かれて「ないです」と答え、大きい声は出るかと聞かれて「そりゃ歌手ですから」と答える、というやりとりを経て、1989年の映画『226』の重要な役に、大抜擢されました。
ご本人にとっては、まったく新しい道への、思わぬ転機でした。
②1990年代の主な活動
| 分野 | 主な作品・番組 | 出典 |
|---|---|---|
| 映画 | 『226』(1989年)、『八つ墓村』(1996年)、『CURE』(1997年)、『愛を乞うひと』(1998年) | Wikipedia |
| ドラマ | 『父 帰る』(1997年、NHK総合、主役)、NHK連続テレビ小説『すずらん』(1999年) | Wikipedia |
| クイズ番組 | 『カルトQ』の司会、『たけし・逸見の平成教育委員会』の準レギュラー解答者 | Wikipedia |
| スポーツ | 1993年にテレビ朝日系『Jリーグ A GOGO!!』の司会 | Wikipedia |
③博識ぶりと親しみやすさ
『カルトQ』の司会で脚光を浴びたうじきさんは、『平成教育委員会』でも、第1期の「生徒」としてセミレギュラーで出席しました。Wikipediaには、文系と理系を問わず、さまざまな問題にまんべんなく解答する博識を見せ、第1期の卒業生の中では、理科の正解率が1位だった、と書かれています。
親しみやすいキャラクターで、新入生の解答にもリアクションで寄り添ったそうです。ミュージシャンの印象とは別の顔で、お茶の間に知られていた時期でした。
④サッカー番組の司会を務めた時期
うじきさんは、1993年にテレビ朝日系の『Jリーグ A GOGO!!』の司会を担当しました。この番組は、1996年のシーズン半ばに、シーズンの終了を伝えることなく打ち切られたと、Wikipediaに書かれています。
それまでサッカーにまったく興味がなかったそうですが、魅力を知ってからは、自費で日本やヨーロッパの試合を観戦に行くようになりました。2005年9月からは、スカイパーフェクTV!で、UEFAチャンピオンズリーグ番組の司会も担当しています。
サンデープロジェクトは2年半で降板
結論から言うと、うじきさんは2004年に『サンデープロジェクト』の2代目メインキャスターに就任し、2年半務めました。この番組の終了後に露出が減った、という見方が、消えたという印象につながっているようです。
①確認できる事実
Wikipediaによると、うじきさんは2004年、ANN系列の報道番組『サンデープロジェクト』の2代目メインキャスターに就任し、2年半務めました。同じ時期の2004年3月28日には、東北と新潟の地域限定の番組『うじきつよしのワンダーポケット』を降板しています。
つまり、2000年代の前半から半ばにかけて、大きなレギュラー番組が、続けて入れ替わった時期でした。
②「降板」の理由は確認できない
| ブログの記述 | 確認の状況 | この記事での扱い |
|---|---|---|
| 2年半で降板し、露出が少なくなった | 2年半務めたことは確認できる | 事実として書く |
| 降板は番組内の発言が原因 | 出典の表示なし。報道や本人の説明は見当たらない | 確認できず、書かない |
| 干されたから消えた | 裏づける資料なし | 推測として扱う |
③降板をどう受け止めるか
報道番組のメインキャスターは、任期や体制の変更で交代することが多い役割だと言えます。降板の理由が本人から語られていない以上、理由を決めつけるのは避けたいところです。
確かなのは、この時期の後も、うじきさんが、2010年代にドラマや映画に出演し、2011年には音楽活動を本格的に再開した、という流れです。降板が、キャリアの終わりではなかったことは、記録から分かります。2004年に就任したときのうじきさんは46歳か47歳で、2年半が終わった2006年の秋ごろには49歳でした。働き盛りの時期に務めた、大きな仕事だったと言えます。この間も、『3年B組金八先生』第7シリーズ(2004年から2005年)や大河ドラマ『義経』(2005年)に出演しており、俳優の仕事は続いていました。バンドを再始動したのは、その数年後の2011年です。
ドラマ出演が減った時期と最近の出演
結論から言うと、Wikipediaに載るドラマの出演数は、2000年代の約19本から2010年代の約10本に減り、2020年代は2本ですが、2025年12月にも出演しています。数字で見ると、テレビで見る機会が減った理由が分かります。
①ドラマの出演数の変化
| 年代 | テレビドラマの出演数(目安) | 映画の出演数(目安) |
|---|---|---|
| 1990年代 | 約16本 | 約8本 |
| 2000年代 | 約19本 | 約9本 |
| 2010年代 | 約10本 | 約2本 |
| 2020年代(2025年末まで) | 約2本 | 記載なし |
この数は、Wikipediaの出演一覧に載っているものを数えた目安です。一覧がすべての出演を網羅しているとは限りません。
②最近の出演
近年の出演としては、2017年から2018年のテレビ朝日系『宇宙戦隊キュウレンジャー』(アントン博士役)、2017年のNHK『植木等とのぼせもん』、2022年のNHK『空白を満たしなさい』などがあります。2024年には、舞台『のうぜい合戦』にも出演しました。
2025年12月29日放送のテレビ東京『絶メシロード 閉幕編』では、カフェ店主を演じています。作品数は減っても、出演は続いているのです。
③本数の変化の背景
減った理由として、うじきさん自身の説明は確認できません。ただ、2011年以降は、バンド活動が安定して続いており、音楽に費やす時間が増えたことが、考えられます。
読売新聞(2025年10月21日)も、2011年のバンド再開後は、安定した活動を続けている、と伝えています。出演の本数だけを見て、消えたと判断するのは、早すぎると言えるでしょう。
④2010年代の主な出演作
2010年代の作品としては、NHK連続テレビ小説『ゲゲゲの女房』(2010年)の富田盛夫役、テレビ東京『孤独のグルメ』(2012年)のジャズ喫茶マスター役、映画『グッド・ストライプス』(2015年)の真生の父役などがあります。
脇を固める役を中心に、作品ごとに印象を残してきたことが、出演の記録から分かります。
出典元:Wikipedia(うじきつよし) / 読売新聞オンライン(2025年10月21日)
うじきつよしの現在と家族について
- 子供ばんどは2011年に再始動した
- 古希を前にしたライブ活動は今も続く
- 結婚は2014年で公表は2015年
- 息子や子供の有無は公表されていない
- 父が戦犯だった話と番組の関係
- うじきつよしが消えた理由のまとめ
子供ばんどは2011年に再始動した
結論から言うと、うじきさんは2011年1月31日に、子供ばんどの再結成を発表し、4月19日に再結成ライブを開きました。消えたと言われた時期を経て、音楽の表舞台に戻った節目です。
①再始動からアルバム発売まで
Wikipediaによると、うじきさんは2011年1月31日に、子供ばんどの永久凍土解凍(再結成)を発表しました。4月19日には、ヤマハ銀座スタジオで再結成ライブを行っています。
2013年5月5日には、25年ぶりとなるアルバム『Can Drive 55』をリリースしました。長い空白を経ての新作で、ファンにとっては大きな出来事でした。
②再始動後の主な活動
| 年 | 出来事 | 出典 |
|---|---|---|
| 2011年4月19日 | ヤマハ銀座スタジオで再結成ライブ | Wikipedia |
| 2013年5月5日 | 25年ぶりのアルバム『Can Drive 55』を発売 | Wikipedia |
| 2023年4月30日 | Hyde Park Music Festivalに、小坂忠トリビュートバンドとして出演 | Hyde Park Music Festival |
| 2025年10月24日 | デビュー45周年記念ライブ(EARTHSHAKERと共演) | サンスポ、読売新聞 |
③還暦を機に結成したバンド
Hyde Park Music Festivalの紹介によると、うじきさんは、同じ歳の旧友のDr.kyOnさんらと、還暦を機に『座・カンレッキーズ』を結成し、セッションにも精力的に参加しています。
読売新聞のインタビューで、うじきさんは、「米国進出など信じた道を無謀にも突き進んできたと思う」と、自身の歩みを振り返りました。大きな挑戦を重ねてきた姿勢は、今も変わらないようです。
④ギターへのこだわり
子供ばんどの音楽を語るうえで、うじきさんのギターは欠かせません。1984年に、ヤマハから「SG-1000XU」としてシグネチャーモデルが作られたことは、ギタリストとしての評価の高さを示しています。
サンスポ(2025年5月26日)は、ミニアンプを載せたヘルメットをかぶり、ギターを弾きまくるうじきさんのヤンチャなステージを、子供ばんどの特徴として紹介しています。
出典元:Wikipedia(うじきつよし) / Hyde Park Music Festival / サンスポ(2025年5月26日) / 読売新聞オンライン(2025年10月21日)
古希を前にしたライブ活動は今も続く
結論から言うと、うじきさんは2026年も、5月に下北沢でワンマンライブを開き、10月3日にはロックフェスへの出演が予定されていました。69歳の現在も、バリバリのライブ活動を続けている様子を、確認できる範囲でお伝えします。
①2026年5月のワンマンライブ
下北沢CLUB Queの公式サイトによると、2026年5月23日に、『古希の子供ばんど前年祭 いよいよ69だ!生存確認スペシャル』と題した、ワンマンライブが開かれました。ゲストは、奥野真哉さん、Yukarieさん、うつみようこさんで、配信もありました。
題名の「生存確認」という言葉には、ユーモアが込められています。消えたと言われがちなことを、あえて明るく笑い飛ばす姿勢が感じられますね。
②2026年10月のロックフェス
| 日付 | 内容 | 出典 |
|---|---|---|
| 2026年5月23日 | 『古希の子供ばんど前年祭』ワンマンライブ(下北沢CLUB Que) | CLUB Que |
| 2026年10月3日 | 『BOWWOW G2 & 子供ばんどのTANZAWA ROCK FES』(クアーズテック秦野カルチャーホール、14時開演の予定) | 山本恭司さんのInstagram(2026年8月15日) |
③共演者が語ったうじきさん
ギタリストの山本恭司さんは、2026年8月15日のInstagramで、うじきさんと銀座で中華を食べ、ゆっくり話せて楽しかった、と報告しました。そのなかで、「彼も来年古希を迎えるけど、この歳でいまだに共演出来ることが信じられない」と書いています。
ライブの日程は、2026年10月15日時点で、すでに終わっています。当日の様子を伝える記事は、今回の調査では確認できませんでした。
④ライブの題名にこめた意味
古希とは、70歳のお祝いのことです。うじきさんは1957年9月18日生まれなので、2027年9月に70歳を迎える予定です。前年祭という言葉は、その1年前の祝いという意味を持つ、ユーモアを込めた題名だと考えられます。
「いよいよ69だ」という言葉も、年齢を隠さず、笑いに変える姿勢が表れています。年齢を重ねても、ロックの精神を忘れないうじきさんらしい発信です。
出典元:下北沢CLUB Que(2026年5月23日) / 山本恭司さんのInstagram(2026年8月15日)
結婚は2014年で公表は2015年
結論から言うと、うじきさんは2014年2月4日に一般女性と結婚し、2015年10月19日に、その事実が明らかになりました。初婚でした。確認できる範囲をお伝えします。
①Wikipediaの記載
Wikipediaには、2015年10月19日に、一般女性と2014年2月4日に結婚していたことが明らかになった、と書かれています。うじきさんにとっては初婚で、当時の年齢は56歳です。
結婚から公表までは、約1年8か月の間がありました。公表の経緯や、馴れ初めは、確認できる資料が見当たりませんでした。ご本人の公式なコメントも、今回の調査では確認できなかったため、結婚に関する詳しい話は、控えています。
②結婚についての確認状況
| 項目 | 確認できたこと | この記事での扱い |
|---|---|---|
| 結婚日 | 2014年2月4日 | 書く |
| 公表日 | 2015年10月19日 | 書く |
| お相手 | 一般女性。お名前や職業は公表されていない | 書かない |
| お相手の年齢や再婚歴 | ブログに記載はあるが、出典の表示なし | 確認できず、書かない |
③奥さんのことを書かない理由
ブログには、お相手が服飾関係の仕事をしている50代の女性で、再婚だ、と書くものがあります。しかし、出典が示されておらず、報道でも確認できませんでした。
奥さんは芸能活動をしていない一般の方です。ご本人が公表していない情報を、確認のないまま広げるのは避けたいと考え、この記事では書かないことにしました。
④結婚した頃の活動と交友関係
2014年は、2013年にアルバム『Can Drive 55』を出した翌年で、バンド再始動から3年目の年です。音楽活動が軌道に乗ってきた時期の結婚だった、という流れです。
Wikipediaには、同じ昭和32年生まれの東国原英夫さん、大仁田厚さん、桑野信義さん、吉村明宏さん、森末慎二さん、田中義剛さんらとは、親友の間柄だと書かれています。同世代の仲間に囲まれた様子が、うかがえます。
息子や子供の有無は公表されていない
結論から言うと、うじきつよしさんに息子さんや娘さんがいるのかどうかは、確認できる範囲では公表されていません。息子と検索された方に、確認できた範囲を整理しますね。
①確認できる資料
Wikipediaの項目には、結婚についての記載はありますが、お子さんについての記載はありません。読売新聞(2025年10月21日)のインタビュー記事でも、家族の話は出てきません。
うじきさんは、ご自身の音楽や活動については、積極的に語っていますが、私生活については、あまり話していないようです。
②子供はいないという話の確認
| 話の内容 | 確認の状況 | この記事での扱い |
|---|---|---|
| 子供はいない、夫婦2人暮らしという話 | ブログに記載があるが、出典の表示なし | 確認できず、断定しない |
| 息子がいる | いるという資料は見当たらない | 確認できず、書かない |
| 娘がいる | いるという資料は見当たらない | 確認できず、書かない |
③検索される背景
うじきさんが、結婚を公表したのは、50代後半になってからです。そのため、お子さんはいるのかと気になった方が、検索したと考えられます。
確認できるのは、お子さんの有無は公表されていない、というところまでです。いる、いないのどちらも断定せず、ご本人が語る機会を待つのが、いちばん誠実な受け止め方でしょう。結婚の公表も、結婚から1年8か月後のことで、私生活は、あまり表に出さない方だと言えます。
④ご本人の発信先
Wikipediaの外部リンクには、うじきさんのX(旧Twitter)とFacebook、所属のTRUオフィスのFacebookが載っています。ご本人の最新の情報は、こうした公式の発信で確認するのが確実です。
ご家族の話題が、ご本人から語られた場合は、そこで初めて、確かな情報になります。それまでは、お子さんの有無を推測で書いた記事には、注意して接してくださいね。
出典元:Wikipedia(うじきつよし) / 読売新聞オンライン(2025年10月21日)
父が戦犯だった話と番組の関係
結論から言うと、うじきさんの父は、元陸軍大尉で、いわゆるBC級戦犯として収監された経歴があり、うじきさんはこの父との旅を、自ら企画してドキュメンタリーにしています。この話が「消えた」ことと関係する、という説について整理します。
①Wikipediaの記載
Wikipediaによると、お父さんの武さんは山口県出身で、陸軍士官学校を卒業した職業軍人でした。東南アジア各地の戦線を転戦し、終戦はカンボジアで迎えています。
敗戦後は、略奪や捕虜虐待の容疑がかけられ、いわゆるBC級戦犯として、ベトナムで5年、巣鴨プリズンで約3年収監された経歴があります。
②ドキュメンタリー番組
うじきさんは、テレビ朝日の『報道発 ドキュメンタリ宣言』で、「僕の父はB級戦犯 うじきつよし戦争を語る父子の旅」を、企画し、ナレーションも担当しました。
ブログには、この番組で父親の経歴が取り上げられたことが、うじきさんが消えた原因では、と書くものがあります。ただし、この説を裏づける資料は、確認できませんでした。
③確認できないことの整理
| 内容 | 確認の状況 | この記事での扱い |
|---|---|---|
| 父が元陸軍大尉でBC級戦犯だった | Wikipediaに記載 | 事実として書く |
| うじきさんが企画した父子の旅の番組がある | Wikipediaに記載(放送日は確認できず) | 書く |
| この番組が原因で干された | 裏づける資料なし | 推測として扱う |
うじきさんは、戦争を語る番組を、自分の意思で企画しました。その後も、2010年代にドラマや映画に出演し、2011年にはバンドを再始動しています。この点だけを見ても、番組が活動を妨げた、とは言えません。
④うじきさんの生い立ち
うじきさんの本名は、氏木毅さんで、読みは同じです。東京都世田谷区の出身で、祖師谷小学校、船橋中学校を経て、東京都立大学附属高校を卒業しました。
お父さんの戦争体験を、自分の目と耳で確かめに行った父子の旅は、うじきさんが、自分のルーツと向き合った取り組みだったとも言えます。
うじきつよしが消えた理由のまとめ
結論から言うと、うじきつよしさんが消えたと言われるのは、1990年代から2000年代前半のテレビ出演が多かったぶん、その後の出演が減り、音楽活動中心に戻ったからです。2026年の現在も、69歳でライブを続けています。
家族については、2014年に結婚し、2015年に公表しましたが、息子さんなどお子さんの有無は公表されていません。最後に、記事全体の要点を整理しておきますね。
①この記事で確認できたことと、確認できなかったこと
確認できたのは、1988年のバンド休止、俳優やクイズ番組での活躍、サンデープロジェクトの就任、2011年の再始動、2025年と2026年のライブ、結婚の年月日です。
確認できなかったのは、サンデープロジェクトを降板した理由、干されたという話の根拠、お子さんの有無、奥さんの詳細です。
②最新情報を確かめるポイント
うじきさんの最新の活動は、ご本人のXや、子供ばんどの公式な発表、ライブハウスの公式サイトで確認するのが確実です。ブログのうわさ話は、出典があるかどうかを確かめて、受け止めましょう。
最後に、記事全体の要点をまとめます。
- うじきつよしさんは、1957年9月18日生まれで、2026年10月時点で69歳である
- 1980年に子供ばんどでデビューし、1988年にバンドの活動を休止した
- 休止の理由として、読売新聞は活動方針をめぐる意見の食い違いを、Wikipediaは目標の2000本ライブを終えた心境を伝えている
- 1989年の映画『226』で俳優デビューし、『カルトQ』の司会や『平成教育委員会』などでも活躍した
- 2004年にサンデープロジェクトの2代目メインキャスターに就任し、2年半務めた
- 降板の理由は、本人の説明や報道が確認できず、干されたという話の根拠もない
- Wikipediaに載るドラマの出演数は、2000年代の約19本から2010年代の約10本に減った
- 2022年のNHKドラマや、2025年12月29日放送の『絶メシロード 閉幕編』など、出演は続いている
- 2011年1月31日に子供ばんどの再結成を発表し、2013年に25年ぶりのアルバムを発売した
- 2025年10月24日に、デビュー45周年記念ライブをEARTHSHAKERと共演で開催した
- 2026年5月23日に、下北沢でワンマンライブ『古希の子供ばんど前年祭』を開いた
- 2026年10月3日には、『BOWWOW G2 & 子供ばんどのTANZAWA ROCK FES』への出演が予定されていた
- 2014年2月4日に一般女性と結婚し、2015年10月19日に明らかになった。初婚である
- 息子さんや娘さんなど、お子さんの有無は公表されていない
- 父は元陸軍大尉でBC級戦犯の経歴があり、うじきさんは父子の旅のドキュメンタリーを企画したが、これが消えた原因という話に根拠はない


父を変えることができなくてまだ叫んでるよ。