今回は大川栄策について記事にしていきたいと思います。
大川栄策について
演歌歌手の大川栄策。まずは経歴を簡単に見ていきましょう。
福岡県大川市出身。身長169cm。佐賀県立佐賀商業高校を卒業と同時に上京し、作曲家古賀政男に弟子入り。
そして1969年に日本コロムビアより「目ン無い千鳥」(兄弟子:アントニオ古賀のB面だった)で念願のデビューを果たし、リバイバルヒットとなる。以後、地道に”古賀メロディ”を歌い続ける。
芸名は、出身地の「大川」を「栄」させる対「策」に由来するものであり、命名も古賀政男である。
1982年、吉岡治作詞、市川昭介作曲の「さざんかの宿」が180万枚の大ヒット。
NHK紅白歌合戦にも初出場した。
相乗効果にて次作の「恋吹雪」もヒットした。
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デビューしてから売れるまでにかなり時間がかかった苦労人のようですね。
調べてみるとその後もいろいろと活動をしているようです。
2002年、「大川栄策の実弟」という設定の覆面歌手「イー・オー」名義でJ-POPの楽曲「ヴィクトリーロード」(作詞:角田信朗、作曲:永井龍雲)を発表。
近年は”筑紫竜平”のペンネームで作曲もこなし、恩師の影を追って韓国音楽にも取り組んでいる。
また、2006年には「駅」がヒット。
さらに2007年11月21日より演歌界では初となる配信限定12週連続リリースした。
演歌歌手が生き残るのに大変な現在の芸能界ですが、作詞など様々なことをしているようですね。
本当に凄い人ですね!
大川栄策に関するエピソード
芸能人には様々なエピソードや噂が付き物です。
どんなものがあるのか見ていきましょう。
大の巨人ファンとしても知られ、2006年7月27日のラジオ日本ジャイアンツナイター(東京ドームでの巨人対広島戦)にゲスト出演した。
左利きである。さざんかの宿まであまり右手ではマイクを持たなかった。
2005年頃より通信カラオケシステムDAMの機種改良に伴い、同機種で配信する大川の代表曲で背景画像に大川本人が出演する映像が多く採用されている。
2007年のNHK大相撲九州場所中継に向正面でのゲスト出演をする。
大川の地元福岡県出身の琴奨菊と支度部屋で対談し応援する光景が見られた。
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音楽だけではなく、好きなスポーツ分野でも活躍しているようですね。
大川栄策には息子はいるの?
これに関しては、情報がありませんでした。
有名な人の家族はやはり気になりますよね。
変な噂が立たなければいいと思います。
大川栄策の特技はタンスを担ぐこと?
演歌歌手の大川栄策の特技はタンスを担ぐこと。
以前は『ザ・ベストテン』で見かけましたね。
出身地の大川市はタンスをはじめとする「大川家具」の産地として有名であり、その関係で身につけた特技だが、1984年を最後に公の場では封印していた。
しかし2006年、「駅」キャンペーン中のJR京都駅で24年ぶりに披露した。
また、2016年11月27日放送のTBS系で放送されたクイズ☆スター名鑑内のコーナー「スター☆今の限界名鑑」で、今の大川栄策は何kgまでのタンスを担げるか、検証が行われたが、担げた重さは30kgにとどまった。
なるほど。
タンスを担ぐことは特技のようですね。
さすがに以前よりは担げるタンスの重さは軽くなったのでしょうが、現在でも30kgの重さのタンスを担げるのはすごいことですね。
大川栄策は現在どうしてる?
現在の大川栄策は一体どうしているのでしょうか。
調べてみると現在もCDを出しているようです。
ここでは2010年以降にリリースした楽曲を紹介します。
あの日の君を恋うる歌 (2010.3.10)
作詞:水木れいじ/作曲:伊藤雪彦/編曲:南郷達也
はぐれ舟 (2010.9.1)
作詞:志賀大介/作曲:伊藤雪彦/編曲:石倉重信
高山の女(ひと)~新録音~ (2011.4.20)
作詞:仁井谷俊也/作曲:大沢浄二/編曲:斉藤恒夫・石倉重信
昭和放浪記 (2012.2.1)
作詞:志賀大介/作曲:伊藤雪彦/編曲:石倉重信
おんな川 (2012.8.29)
作詞:白鳥園枝/作曲:市川昭介/編曲:佐伯亮・南郷達也
湯の町月夜 (2013.3.13)
作詞:仁井谷俊也/作曲:原譲二/編曲:南郷達也
男一途 (2013.11.27)
作詞:松井由利夫/作曲:弦哲也/編曲:斉藤恒夫
あばれ舟唄 (2014.8.27)
作詞:吉岡治/作曲:市川昭介/編曲:池多孝春
現在でも毎年のようにCDを出しているようですね。
いかがでしたでしょうか。
以前一世を風靡した大川栄策。
昔も今も音楽で人々のを魅了していることでしょう。