中村勝広の息子は医師なの?死因は心停止?実家はどこ?

今回は元阪神監督の中村勝広(なかむら かつひろ)さんについてみていきましょう。

中村勝広の息子は医師なの?

元プロ野球選手(内野手)で、阪神タイガースの取締役ゼネラルマネージャー(GM)を務めていた中村勝広さん。

現役時代は入団1年目から頭角を現していおり、「久々のルーキー豊作年」といわれていました。

そんな中村勝広さんの息子さんは、医師という噂がありますが、本当でしょうか?

どうやらこの話は本当のようで、息子中村大輔(なかむら だいすけ)さんは、超難関高校である灘高校から、大阪大学の医学部に進学したという大変優秀な方のようです。

大阪大学の医学部については、偏差値が71.3!つまり、慶応大学や京都大学とほぼ同じくらいの難関大学になります。

大変優秀な息子さんだということが分かりますね。

スポンサーリンク

ご本人も家族思いの人だった。

1990年から阪神を率いたものの、就任初年度から連続最下位。

特に2年目の91年は6月に当時球団史上初となる10連敗を喫し、梅雨を前にストーブリーグに突入した。

阪神担当記者として夜、宝塚市の自宅を訪ねると玄関先まで出てきて、家から少し離れたところまで袖を引っ張られた。

息子さんの勉強の邪魔にならないようにという行動だったことは後に記者仲間から知らされた。

中村大輔さん自身も、父の配慮があったからこそ医師になれたとのちに語っています。

さらに、現在は医師としてアメリカに在住しているといいますから、完璧なエリートですね。

中村勝広の死因は心停止?

2015年6月にゼネラルマネージャーとして契約更新した矢先、中村勝広さんはチームの東京遠征先の宿泊ホテルにて亡くなっているのを発見されました。

ホテル側からの連絡を受けた救急隊が部屋に到着したところ、死亡が確認された。満66歳没(享年67)。

チームがセ・リーグ優勝争いの渦中にあったことから、救急隊の到着前にホテルを出発していた首脳陣やナインには、当日のデーゲーム(東京ドームでの対巨人戦)終了後に訃報が伝えられた。

なお、阪神球団では当初、中村の死因を急性心不全と発表していた。

しかし、その後の検死の結果、同月23日の午前3時頃に脳出血で死亡したことが判明している。

心停止ではなく、脳の出血がひどく急死してしまったようです。

スポンサーリンク

中村勝広のお別れの会について

中村勝広さんの葬儀・告別式は、2015年9月30日に千葉市内で執り行われました。

各球団の監督や、成東高校時代の後輩選手など、阪神・オリックス関係者を含む約250名が参列しています。

阪神球団でも同年11月19日に、一般人も参列できる「お別れの会」を甲子園球場で開催。

グラウンドにてユニフォーム姿の首脳陣・選手、球団OB・他球団の代表など球界関係者約600名、一塁側スタンドにてファン約1000名が参列するとともに、吉田が弔辞を読み上げた。

また、親族を代表して長男である中村大輔さんは、

生前の父は野球をこよなく愛し、野球とともに生き、野球に身を捧げた、まさに野球人そのものでした。

選手、監督、ゼネラルマネジャーとして優勝を体験することはできませんでした。

その意味では野球人として真の勝者とは言えないのかもしれません。

しかし、命をかけて自分の身を削り戦い続けた父を、男としては勝者だったと私は信じています。そんな父を心から誇りに思います。

私は父の背中からたくさんのことを学びました。

仕事に真摯(しんし)に取り組み、どんな逆境にも負けず立ち向かう意志。

謙虚な心を持ち周りの人を大切にし絆を深め合い、家族の絆も大切にし大きく包み込んでくれる父。

恥ずかしながら、この年齢になっても私にとって父は一番尊敬する人であり、目標でした。

私たち遺族に今できることは、父の遺志を受け継ぎ、周りの人の心を見つめ続け、絆を深め、大切に生きていくことだと思っております。

と挨拶していました。

本当に心から尊敬できる父親だったのですね。

中村勝広さんと同い年の川藤幸三OB会長や、来季からシニアアドバイザーとしてフロント入りする和田豊前監督なども、中村勝広さんの人柄に惹かれたエピソードを語っていました。

志半ばで天国へと旅立ってしまった中村勝広さんの遺志を胸に、阪神の選手たちは来季のV奪回に向けて闘志を燃やしていることでしょう。

中村勝広の実家はどこ?

中村勝広さんは、千葉県山武郡九十九里町出身です。

高校時代は成東高校に進学し、1967年夏の甲子園県予選を勝ち抜いて東関東大会準決勝に進出しています。

その後、中村勝広さんは早稲田大学教育学部体育専修へ進学し、東京六大学リーグでは1968年秋季リーグで優勝を経験しました。

早大時代では主将を務めており、プロ入り当初から、将来阪神をになう指導者として期待されていました。

成東高校は九十九里付近ではかなり優秀な高校として有名で、野球のみならず勉強面も大変優秀だったといいます。

大変優秀な方だったので、天国へ旅立ってしまったのは非常に残念ですね。

スポンサーリンク
スポンサードリンク



シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする