麿赤兒さんの若い頃がイケメンです。
実はその息子達も有名人なんですよね。
今回の記事では、麿赤兒さんの若い頃と2人の息子さんたちをご紹介します。
麿赤兒の若い頃がイケメンと話題!
麿赤兒さんの若い頃がイケメンだと話題になっているそうで、見たいですよね!?
しかし数十年前のため数少ないですが、ご紹介いたします。
まず一枚目。
30代の頃の写真ですね。危険な香りのするイケメンといったところです。
そして、二枚目。
出典:(語る 人生の贈りもの)麿赤兒:7 「体があればいい」、土方から盗む
こちらは、40代後半位でしょうか。
落ち着いた雰囲気で大人の色気を漂わせていますね。
イケメン度数はまあまあといったところでしょうかww
しかし、今現在が渋くて完成されている感じがしますね。
いい年の取り方をされたのでしょう。
俳優の宇崎竜童さんにめちゃくちゃ似ています。ワイルド。かっこいいお父さんですね!
演技に魅せられた麿赤兒
麿赤兒さんは演劇に魅せられたのは、中学生の頃。すでに、演劇部で活躍していました。しかし、出身が田舎なもので、部員はたった6人だけでした。それでも、懸命に演技に向き合った時期でした。
そいて、1962年に東京へ上京。演劇のために早稲田大学の演劇科に入学します。
しかし、約1年は教養課程ばっかりで、演劇の授業をしないことに待ちきれず、早稲田を中退します。世間一般的には、あの早稲田を中退なんてもったいない!って話なんですが、演劇に燃えている麿赤兒さんにとっては、むしろ早稲田にいる方がもったいない。と思ったのでしょう。
当時の早稲田大学には、「自由舞台」とか「演劇研究会」というのが存在していましたが、それでも自分のやりたいこととはかけ離れていたようです。
そして、麿赤兒さんが20歳の時に舞踏家、振付家、演出家、俳優でもある土方巽(ひじかた たつみ)さんと出会ったのです。土方巽さんは当時35歳で、麿赤兒さんにとって兄貴みたいな存在でした。
麿赤兒さんは土方巽さんに師事し、唐十郎さんと状況劇場を設立。
1972年に自身の舞踏集団である「大駱駝艦(だいらくだかん)」を旗揚げして、独自の舞踏活動を開始。現在も活動しています。
あまり若い方には馴染みがないかもしれませんが、麿赤兒さんの名は海外にも届いており、1982年のフランス・アメリカ公演が大きな話題となり「Butoh(舞踏)」の名は世界に広がりました。
麿赤兒さんはご存知の通り見た目は強面ですが、無名監督からのオファーにも快く応えるめちゃくちゃ良い人。演じるキャラクターはかなり柔軟で、本当に演技のために生きている。自分がやりたい演技ができるならなんでもいい!と思っている人なのだろう。と思います。
麿赤兒の息子(長男)は大森立嗣
麿赤兒の長男は大森立嗣(おおもりたつし)さん。
1970年9月4日生まれで現在50代。お仕事は映画監督をやっていらっしゃいます。
映画の世界に入ったきっかけは大学時代にありました。
映画サークルに入ったことを機に、自主映画を製作したりと、映画の世界に関わるようになってい言ったようです。
さらに、なんと俳優もやってらしたんですね!
映画サークルにたまたま入ったと言われていますが、父親が俳優のため興味はあったのでしょう。
監督としての初仕事は25歳の時でした。
俳優、助監督を経て1995年、長編映画「ゲルマニウムの夜」で監督デビュー。
引用:麿赤兒の息子は大森南朋?嫁(妻)は誰?画像あり
その後も順調に監督として作品を世に送り出しています。
代表作はコチラです。
・まほろ駅前多田便利軒
・ぼっちゃん
・さよなら渓谷
・まほろ駅前狂騒曲
・セトウツミ
・光
・日々是々日
順調にキャリアを積んでいるようです。その作品の評判は…?
2010年「ケンタとジュンとカヨちゃんの国」、2011年「まほろ駅前多田便利軒」、2013年「ぼっちゃん」など、社会の隅で生きる人々を描いた映画を製作し、高い評価を受けています。
かなりの高評価のようです。そのうちカンヌ映画祭などで賞を取ることもあるかもしれませんね!
長男が監督を務める映画には、父親である赤麿兒さんもちょくちょく出演されているそうですよ!
「まほろ駅前多田便利軒」と「まほろ駅前協奏曲」では、なんと親子三人の共演が実現しています。
キャスティングの経緯を聞かれた大森監督は「親父はだいたい『わしは就職活動中だ!』」とかワケわかんないこと言ってるから、じゃあ出てもらおうかみたいな感じで(笑)。
南朋は、メシ食ってるときに『出る?』って聞いたら『おう、出る出る』みたいな軽~い感じでしたね」と笑顔で説明。
親子で仕事ができるなんて素敵ですよね!
麿赤兒の息子(次男)は大森南朋
麿赤兒さんの次男は俳優の大森南朋(おおもりなお)さんで、1972年2月19日生まれのこちらも現在、50代です。
お兄さんは知らなくても、弟さんはご存知の方も多いのではないでしょうか?
南朋さんは、演技派俳優としての地位を確立され、お父さんに負けず劣らずの独特のオーラを放つ、存在感あふれる俳優さんです。
実力派俳優としてドラマや映画にひっぱりだこですよね!
それにもかかわらず、最初から俳優志望だったわけではないようで…、
高校の頃からバンドをしていたこともあり、将来はミュージシャンになりたかったんだそうです。
大学でもバンド活動に熱中するほどだったそうです。
そんな彼が俳優を始めたきっかけは、
父・赤麿兒さんのマネージャーから俳優の道へと誘われ、オーディションを受けるなどして、21歳で俳優デビューをしました。
父・赤麿兒さんのマネージャーの紹介だったんですね。
マネージャーもプロですから、大森南朋の俳優としての才能を見抜いていたのかもしれません。
しかし、最初は生もクレジットされないようなわき役が多く、下積み期間はかなり長かったそうです。
俳優人生をスタートさせるも、順風満帆とはいかなかったようです…。
実はこの時バンド活動も並行しており、俳優一筋だったわけではなかったのです。
本業は「バンド」で、俳優はバイト感覚だったから売れなかったのかもしれません。
29歳の時に俳優としての仕事が増えて来たことからバンドを解散して、役者に専念しています。
その後も下積み生活は続きますが、30代半ばでブレイクを果たすと、以降は多くの人気の連続ドラマや映画に起用されるようになります。
やはり「蛙の子は蛙」「血は争えない」というのか、俳優としての才能は、父赤麿兒さんから受け継いでいたようですね。
スタートは遅くても、きっちり売れっ子俳優になっています。
そして売れた今また、バンド「月に吠える」を結成し活動しているようです。
やはり音楽が好きなんでしょうね!
ちなみに親子関係は良好なようで、こんなエピソードがあります。
2018年9月「種田山頭火賞」を受賞した赤麿兒さん。
俳人・種田山頭火のような信念を貫いた生き方で多くの人々に感動を与えた`魂の表現者‘に贈られる賞だ。
これは春陽堂書店が創設したばかりの賞ですが、舞台芸術を高く評価されたようですね!
さっそく息子二人に報告したところ、
対応はそっけなく、特に次男の大森南朋から「今忙しい!」と言われてしまったそうだ。
えっ…なんか冷たい!?いやいや、大森南朋は本当に忙しかったんです!
大森は自身のInstagramを更新。
授賞式の記事の画像とともに「親父 おめでとうございます」と父である麿を祝福した。
後々ちゃんと祝福してくれました。
お父さんの電話のタイミングがまずかっただけのようです。
大森南朋さんは父親の舞踏を観に行くこともあり、ツーショットなどをインスタにも投稿しています。
父親と息子は同業者でありながら、互いに尊敬しあっているようで、素敵な関係ですよね。
赤麿兒の息子さんについてご紹介しましたが、いかがだったでしょうか?これからも舞台人、俳優としてさらなる活躍を期待しています!