逸見政孝の息子は逸見太郎で画像は?福島放送の司会?現在について。

今回はアナウンサーの逸見政孝(いつみ まさたか)さんについてみていきましょう。

 

逸見政孝の息子は逸見太郎。画像は?

逸見政孝さんはスポーツアナウンサーとして活躍したのち報道へ転出し、『FNNスーパータイム』『FNNニュースレポート6:30』などを担当しました。

『夕やけニャンニャン』の予告コーナーにおいて、片岡鶴太郎さんやとんねるずとの絶妙なやりとりが人気を博します。

堅物で真面目一直線といったアナウンサーのイメージを覆した人物ともいえます。

そんな逸見政孝さんが結婚したのは逸見晴恵さん

2人の間にはお子さんが2人誕生しており、長男は太郎さん、長女は愛さんといいます。

どちらの出産時にも晴恵には「一人で病院に行くように」と言って、出産には立ち会わなかった。

子育てについても完全に晴恵に任せっきりであった

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「子供たちが自分の背中を見て何かを感じてくれれば良い」と考えていた。

長男・太郎の妊娠中、性別がまだわからない段階で、逸見は晴恵のお腹にいる子供に「お前は太郎だ」と呼びかけていた。

一方、長女「愛」の名は兄の「太郎」と対になる名前で、日本的な名前にしたいということで、熟慮の結果選んだという。

仕事人間ということは知っていましたが、まさか奥さんの出産時も仕事していたとは驚きですね。

 

逸見政孝の息子・逸見太郎は福島放送の司会として活動中?

息子の太郎さんは「5時に夢中」で司会を務めていたことで有名ですね。

2009年1月よりTOKYO MXの夕方帯番組『5時に夢中!』の司会に抜擢された。

父の政孝も『FNNスーパータイム』のニュースキャスターを務めており、親子2代にわたり夕方の帯番組の司会を務めることとなった。

出演者からは「太郎ちゃん」の愛称で呼ばれ、親しまれている。

2011年4月2日より、『5時に夢中!』の姉妹番組である『5時に夢中!サタデー』の司会を、また同年5月1日より、TOKYO MXにて『これからはパ・リーグだ!』の司会を務めていたため、月曜日から日曜日まで全ての曜日でTOKYO MXの生放送の司会を務めることとなり、全く休みのない状態が続いていた。

降板後は2017年から福島放送の夕方帯番組の司会を担当しています。

アナウンサーではないのですが、お父さんと同じく番組の司会を務めているという共通点がありますね。

ちなみに娘の愛さんは、女優やリポーターを務めていましたが2012年以降はテレビ出演はしていません。

 

逸見政孝の息子・逸見太郎の現在の活動について

逸見政孝さんは生前フリーになって収入が増え、12億円の豪邸を建てています。

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長男の太郎さんは、その家の維持費や税金で年間400万も出費があるとカミングアウトしており、やりくりに苦戦しているそうです。

ローン完済前に逸見政孝さんが亡くなってしまったので、残された家族はかなり苦労したようです。

妻である晴恵さんが亡くなった際に、生命保険でローンを完済できたそうですね。

現在は司会業が中心ですが、過去には北野映画の『HANA-BI』にも出演しているなどマルチに活躍しています。

帰国後の1998年、政孝の親友である北野武監督の映画『HANA-BI』で俳優デビューした。

その後、テレビドラマや舞台に出演し、その他、得意なスポーツを活かしてスポーツ番組にも出演している。

当初は芸名をTAROにしようと思い、北野武に相談したが、「犬じゃねぇんだから」と一蹴され、本名のまま活動することにした。

2003年頃からあまり仕事のない状態が続き、芸能人としては長く冬の時代を過ごしていた。

北野武さんは父である逸見政孝さんと親交が深かったため、その縁での出演だったようですね。

 

逸見政孝の死去やその背景は?

逸見政孝さんは突然記者会見で癌であることを告白し、そこからわずか3か月でこの世を去りました。

しかし、そのがんは死後、手術をした前田外科病院の誤診を疑う声が浮上してきます。

1993年9月、フリーになって5年目。

48才の逸見政孝さんは記者会見を開いてがんを告白

国民は大ショックを受け、記者から「生還してください」という励ましもありました。

その後も10月頃まで『たけし・逸見の平成教育委員会』の事前収録やほかの特番の司会もこなしましたが、仕事はセーブして闘病に専念していきました。

逸見政孝さんは、自身の弟がスキルス胃がんで31歳で亡くなっていたこともあり、かなり健康に気を遣っていました。

1993年1月、胃がんが見つかりました。

前田外科病院でがんのステージは初期だと診断され、2月に手術で部分切除(胃を3分の2)。

しかし5月に、手術の痕に突起のようなケロイド状の腫瘍ができ、除去するため8月に前田外科病院で2回目の手術

しかしほとんど手が付けられない状態で無意味な手術に終わり・・・、前田外科病院はこれ以上の手術は無理だと判断し、放射線治療を勧めました。

そして東京女子医大病院で手術をした結果、がんのステージはかなり進行しており、内臓約3kgを除去するという大手術をしました。

つまり、最初の手術の時点で末期癌だったのですが、前田外科では本人に告知してい ません。

スキルスという特殊な癌であり末期の状態で手術を繰り返したことで、命を縮めてしまったのでは?と言われています。

逸見政孝さんの訃報は世間に衝撃を走らせ、報道関係者やプライベートでも親交のあったビートたけしさんからも悲しみの声が寄せられました。

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