俳優、タレント、エッセイスト、さらには瞑想者でもある秋野太作の若い頃や、家族、息子さんのつさかたくじさんの素晴らしい才能についてや、今病気なのかについてまとめてみました。
目次
秋野太作の若い頃
秋野太作さんの若い頃に迫ります。
2人の美人と結婚した若い頃
秋野太作さんはこれまでに2度結婚しているんですよね!
しかも、いずれも美しい女性と結婚している秋野太作さん。
薄々気づいていましたが、若い頃すごくかっこいいんです!
最近よく見かけるホスト系のかっこいいではなく、爽やかな感じのイケメンで、好青年という印象ですよね。
恋多き女性 太地喜和子 pic.twitter.com/7epjS4oaJB
— らうおう (@Krjg14W) March 14, 2018
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さて秋野太作さんの結婚について一度目は、1974年31歳の時。女優の太地喜和子(たいち きわこ)さんと結婚されています。
太地喜和子さんとは、同い年で俳優座の同期でした。。
しかし、1年も持たずに離婚。太地喜和子さんは結婚生活よりも、女優としての人生を選ばれたのが離婚理由と言われています。
ちなみに太地喜和子さんは1943年12月2日生まれ。1992年10月13日、舞台公演があった静岡県伊豆市で、俳優仲間3人と訪れたスナックの帰り、スナックのママが運転する車に乗ったところ、車が桟橋から海に転落する事故により、48歳の若さで死亡しています。
同乗していた俳優達は自力で脱出して泳いで岸に辿り着いたのですが、大地喜和子さんは車に乗る前にかなりの深酒をしていたことや、泳げなかったことから亡くなってしまいました。
その後、1975年に秋野太作さんは、元タカラジェンヌである台湾出身の温碧蓮さんと再婚を果たします。温碧蓮さんは元タカラジェンヌで、退団後にNHKの「ステージ101」のメンバーをしていました。
温碧蓮さんのプロフィールについては、一切情報が残っていませんでした。
お二人の間には、娘さんが2人と息子さん1人が誕生しています。
ちなみに長女は、スピリチュアルカウンセラーをされている奥本有里(おくもと ゆり)さん。次女は、モデルで女優の津坂早紀(つさか さき)さん。長男は、ダンサーで経済学者のつさかたくじさんです。
複雑な生い立ち
父親は1909年生まれの秋野芳太郎さんです。両親はお互いに離婚歴があり、それぞれ前の配偶者との間に子供がいましたので、秋野太作さんの兄弟は4歳下の実弟の他に、父親の違う兄が2人いるんです。
あまり一般的には考えにくいですが、秋野太作さんによると「僕が生まれた下町では珍しいことではなかった。クラスの半分くらいは複雑だった」とコメントしています。時代ですね。
その後、結核に罹患した母親が療養所に入ったことで、母親の最初の嫁ぎ先の両親がともにいない家庭に秋野太作さんは預けられました。ここでは父親の違う2人の兄と生活していたのですが、母親が亡くなると、秋野太作さんは父親に引き取られます。
父親の秋野芳太郎さんは第二次世界大戦に入る前まで、第一勧銀(今のみずほ銀行)に勤務していました。そして、戦後から印刷会社を設立しています。優秀な方なんですね!
しかし、代表取締役社長ですからね。会社が忙しくなったことで、秋野太作さんは近所の家をあちこち転々とする生活を送ります。そんな中、父親ときちんと顔を合わせられるのは土曜日と日曜日だけだったようですが、父親が大好きだった秋野太作さんは一緒に都電に乗って外食して、夜一緒に眠ることが楽しかったそう。
また、秋野芳太郎さんは剣舞の達人でもあったのですが、これが功を奏して戦時中は兵隊にはならずで済み、従軍慰問団の一人として戦地を回る日々を送っていたそうです。
秋野太作さんも父親から剣舞を学んだようですよ。
それも、秋野太作さんにとっては良き思い出で、楽しみだったのでしょう。
若い頃の俳優としての活躍ぶり
秋野太作さんは、文京区立第六中学校を卒業。ちなみに、中学校の同級生には政治家になる小沢一郎さんがいました。
さらに、東京都豊島区西巣鴨にある男女共学の都立高校である東京都立文京高校(現在の偏差値は62)を卒業後、日本大学法学部に進学します。秋野太作さんが10歳の時に父親が再婚したのですが、どうも継母とは関係がよくなく、暴力も振るわれたといいます。20歳の時に継母から「出ていけ」と言われてしまったそうです。
結果、父親は根っから優しい人で、秋野太作さんが顔を腫らしてるのを見て慰め、決して追い出すことはなかったそうですが、秋野太作さんは我慢の限界にきたのでしょう。家を飛び出し、日本大学を大学2回生の時に中退。俳優の道へと進むことになります。俳優になることを父親は賛成してくれ、大卒の初任給が2万5000円の時代に3年間、月3万円の援助をし続けてくれたそうです。
こうして秋野太作さんは1961年、高校卒業後に劇団「俳優座」の養成所へ入所。15期生でした。ここで、演技のレッスンを積まれ、1966年には正式に「俳優座」の団員に。
また、同年には、TBS系木下恵介劇場「記念樹」で、テレビドラマデビューを果たします。1968年頃には演技派俳優としての地位を確立し、1972年に「俳優座」を退団されています。1975年に俳優としてブレイクし、50年以上もの間、俳優として活躍し続けているスゴイ方です。
秋野太作の息子はつさかたくじ!
先ほどもお伝えしましたが、秋野太作さんは結婚を2度されています。
太地喜和子さんにしても温碧蓮さんにしてもお美しい方だそうで羨ましい限りですw
そして、その息子さんであるつさかたくじさん。
ぼやけたものしか見つけられませんでしたが、何となく鼻立ちとかが、少し母親の温碧蓮さん似なのかなっていう顔立ちですよね。
つさかたくじの出身大学は東大
たくじさんは、学習院から東大に進学し、駿台全国模擬テストでは3位以下をとったことがない秀才とのことでした。
何とも驚きです。
学習院から東大、何とも絵に描いたような理想の秀才ぶりです。
秋野太作さんの長女は、奥本有里さん。
名門白百合女子大学に通っていたけれど、卒業時には妊娠結婚するもすぐに離婚。
どうもバツ2だそうで、今はスピリチュアル占いをしているようです。
次女は、モデルで女優の津坂早紀さん。
国立音楽大学付属高校ピアノ科卒業でかつてはオスカープロモーションに所属していたようですが、今は事務所のプロフィール欄には名前がありませんでした。
秋野太作さんの娘さんお二人も名門の学校を卒業していて、お子さん3人とも素晴らしいですね。
つさかたくじはダンサー?
つさかたくじさんは今アメリカで振付師をやっているそうです。
長男の名前はつさかたくじさんで職業はダンサー兼経済学者をされてるそうです。
ダンサーで経済学者?ってなりますよね。
ただ、学習院から東大卒であると聞くと何となく納得もできます。
要は文武両道を体現しているということですよね。
こうみて見ると秋野太作さんのお子さんたちの経歴は面白いですよね。
長男のつさかたくじさんは東大卒のダンサー兼経済学者。
長女の奥本有里さんは白百合女子大学卒のスピリチュアル占い師。
次女の津坂早紀さんは国立音楽大学付属高校ピアノ科卒業のモデルで女優。
と3人とも名門校を卒業した後に、自由な人生を歩んでいるようです。
秋野太作は病気なの?
秋野太作さんが数年前にテレビ番組に出演された時、あることがネット上で話題となりました。
秋野太作さんが痛快えみちゃんねるでゲスト出演されていましたがこの方、偉い老けられましたがご病気されたのでしょうか?昔はスマートな方でしたけどね。
引用:yahoo!知恵袋
秋野太作さんは病気なのでしょうか?
公表はされていませんが、これに関しては3つの考えが挙げられています。
1.以前から病気だったのが悪化した。
2.高齢なことから痩せた。
3.食欲が減退してきた。
このいずれかが痩せてきている原因だと言われています。
ただ、思うにこの3つが全て関連しているのではないかとは思います。
前から病気だったのが、年齢の積み重ねによって免疫が減少していって、悪化してきて、それに伴って食欲もなくなってきた。
その結果痩せてきた。
そういうことなのではないでしょうか?
いずれにせよ、「荒ぶる魂」のような秋野太作がもう見れなくなると思うと、非常に残念で仕方がありません。