元プロボクサーでタレントの赤井英和さんには、息子さんが二人おられます。
どんな息子さんたちなのでしょうか。
赤井英和の息子は現嫁との間に二人
赤井英和さんは、1993年に佳子さんという一般女性と結婚しました。
たびたび夫婦でテレビ出演することもあり、顔を見たことがあるという人も多いのではないでしょうか?
そんな2人には、2男1女の子供がいます。
佳子さんとは2度目の結婚で、前の奥さんとの間には女の子が2人います。
プロレスラーで、グラビアモデルとしても活躍している赤井沙希さんが、その前妻との間にもうけた娘さんのうちの一人です。
長男は赤井英五郎
赤井英和さんと佳子さんの間に生まれた長男が、赤井英五郎さんです。
- 職業:プロボクシング選手
- 生年月日:1994年9月22日生まれ
- 出身地:東京都世田谷区
- 在籍大学:カリフォルニアにあるウィディアカレッジ(2015年5月に日本でボクシングデビューするため休学)=1989年に開校された英語を学ぶ語学学校
- 身長:179cm
- 体重:77㎏
幼い頃からスポーツが得意でした。
高校生の頃はアメフトに励んでいたそうで、ボクシング歴はまだまだ短いんです。
しかし、2015年に行われた奈良県連盟所属奈良県代表として選考会に出場し、判定勝ち。全日本アマチュアボクシング選手権大会に出場した時には準々決勝まで駒を進めました。
惜しくも敗れてしまいましたが、お父さんの遺伝子を受け継ぐボクシングの才能の持ち主なのだとか!
2021年9月11日にプロデビュー戦。2021年東日本新人王戦のミドル級に出場しましたが、同じくデビュー戦の岡村弥徳さんに1回2分24秒でTKOで敗れてしまいました。
赤井英和さんはその雄姿に対して、「ええところを出せなかったのはかわいそう。でも、ボクシングで大事なのは気持ち。気持ちは強い子だから、まだ挽回できる」「試合を見直して、一から練習して頑張っていこう」と英五郎さんを抱き締めていました。
泣けます。親子愛ですね!!
もともとは「父親と比べれられることも、争うことも嫌」という理由で「ボクシングは絶対にやらない」と言っていたんですが、高校3年生の時に自分が避けてきたボクシングでポテンシャルを試したくなったようなんです。
「中途半端なものは見せられない」という思いから赤井英和さんに黙って、父親の恩師をたずねて、「ボクシングがしたいです」と懇願。それから、20歳の時にボクシングの練習を始めました。
赤井英和さんは「子供としてではなく、イチ個人として見ている」と息子のこの意思に反対することはありませんでした。父親から指導を仰いだことはこれまで一度もないようなんですが、自宅地下にトレーニングルームをつくってくれたようです。
イケメンと話題!
「お父さんと同じく、ボクサーから俳優業に進みそう」「外国でもモテそう」「結構イケメン」など、SNSなどで赤井英五郎さんがイケメンだと話題になっています。
画像を見てみても、整った顔立ちをしていますよね!
ハワイに留学し、大学もハワイの語学学校ということで、英語も堪能。ボクシングやアメフトをしていてスポーツも出来るなんて、きっとモテ男なのではないでしょうか。
ボクシングを極めた後は、本当に俳優やモデルに転身してもおかしくないイケメンだと思います。
将来も楽しみですね!
次男は赤井英佳
次男は、赤井英佳さんです。
赤井英和さん、奥さんの佳子さんから名前を一文字ずつとって付けた名前です。
赤井英佳さんは、お父さんの引退後と同じく俳優をしていて、2015年に、24時間テレビドラマスペシャル「母さん、僕は大丈夫」でドラマ出演を果たしました。
このドラマ、お父さんである赤井英和さんも出演していて、ドラマデビューにしてお父さんと共演しています。
バラエティー番組にも出演していた時期もあるので、知っているという方もいるかもしれません。
たくさんのメディアに出演して、お父さんのような俳優さんになって欲しいですね。
過去、アメリカはメイン州に留学していたこともあって、英語はペラペラ。赤井英和さんのYouTubeチャンネルに出演していたこともあります。
笑った顔が親子でそっくりですねw
仲の良さもうかがえます。
赤井英和は子供を亡くしていた
息子さんが死亡したという情報はありませんでしたが、ある情報が出てきましたのでご紹介します。
赤井英和さんと佳子さんとの間には、2男1女の子供がいることはご紹介しましたよね。そして、2人双子の女の子もいたんです。
1998年に誕生したさくらこちゃんと、ももこちゃんです。
しかし、2人は既に亡くなっています。
早産となってしまったようで、出産予定日よりも2ヶ月も早く産まれたんです。
NICU(新生児集中治療室)で処置が行われましたが、ももこちゃんは3日後に亡くなってしまいました。
さくらこちゃんの治療も進めましたが、「脳軟化症」という病気であることが発覚してしまいます。
脳の血液循環路の一部が途絶。脳の実質組織の一部が壊死し、軟化してしまう病気です。
そのため、さくらこちゃんは「将来歩くことができないだろう」と言われていました。出産後、自宅での治療ができるようになり、準備を整えて、あとはさくらこちゃんを迎えるだけ。という段階までになっていたのですが、NICUにいたさくらこちゃんの人工呼吸器が抜けてしまったんです。
そして、さくらこちゃんは、わずか生後7ヶ月で亡くなってしまいました。
赤井さんは今でもこのさくらこちゃんの治療を「本当に行わなくてはいけなかったのか」「さくらこちゃんにとっては苦しいだけの7ヶ月だったのではないか」と、心が痛む思いしか残っていないと語っています。
このことは、赤井英和さんの著書「さくらこ ももこ わが逝きし子らよ」で語られています。
双子の出産はリスクが多いなんて言いますが、一度に2人の子供を失うというのは、どれほど辛かったことでしょうか。
ご家族の無念は計り知れません。。