今回は脚本家の一色伸幸(いっしき のぶゆき)さんについてみていきましょう。
目次
一色伸幸には息子がいるの?
一色伸幸さんといえば、「松本清張の脊梁」の脚本を手がけ、「私をスキーに連れてって」などの大ヒット作で知られていますね。
脚本家としてだけでなく作詞家としても活躍し、「彼女が死んじゃった。」の「とんちたいそう」や「555」、「LIVE!LOVE!SING! 生きて愛して歌うこと」の「GIGつもり」なども手がけています。
私生活では結婚していて息子さんもいらっしゃいます。
一色伸幸さんの結婚した奥さんについては、長野出身ということ以外は不明です。
そして、2人の間にうまれた息子さんは、俳優の一色洋平さんです。
一色伸幸の息子は俳優・一色洋平
一色洋平さんは脚本家である一色伸幸さんの影響を受けて、幼少の頃から舞台観劇をしたりとその世界に触れていました。
2010年、法政大学キャリアデザイン学部キャリアデザイン学科入学と同時に、早稲田大学演劇研究会に入会。
同会を卒業後も舞台、テレビドラマ、劇作、ワークショップ講師など、活動の場を様々に拡げている。
一色伸幸さんの自宅は鎌倉にあり、一色洋平さんが演劇の仕事を始めた頃は鎌倉の実家から通っていたそうです。
しかし、都内に通うには不便なので、昔東中野に住んだことのある父からの勧めもあり、一人暮らしを始めることにしました。
一色洋平さんが「俳優になりたい」と父親に話したとき、出された条件が次の2点でした。
・目の前の人を感動させるようになれ。
・自分たちでゼロから作れ。学生演劇のように道具から何から自分たちで作れ。
映像の仕事を志望していた一色洋平さんも次第に、目の前のお客様のために人生を使うという劇空間に魅了され、現在は舞台を中心に活動しています。
今後ますます活躍していくことでしょう!
一色伸幸はうつ病だったの?
一色伸幸さんは1993年から1994年にかけて、うつ病を患っています。
ヒットメーカーとしてのプレッシャーに押しつぶされた一色伸幸さんは、興行成績や視聴率という数字の責務まで負い、自身を追いつめてうつ病に倒れてしまいました。
奥さんに付き添われて精神科医に通った結果、「一色くん。きみは、うつ病だと思う」といわれたといいます。
一色伸幸、「うつから帰って参りました」でうつ病について語る
一色伸幸さんさんはうつ病患者の内面を、2007年のエッセイ「うつから帰って参りました」で語っています。
また、2008年には小説「配達されたい私たち」を執筆し、後にドラマ、舞台化しています。
漠然とした不安や締切のプレッシャーから精神的に追いつめられ、市販薬の過剰摂取で気分を紛らわす方法を思いつく。
薬物依存は次第にエスカレート。
生活が荒み、奇行が目立ちはじめ…医者が下した診断は<うつ病>。
発症から克服までをユーモラスに描く、笑いと涙のうつ病生還エッセイ!
自身の病気発覚から回復までの道のりを、ユーモアを交えてまとめているので、さすが売れっ子脚本家ですね。
シナリオの締め切りを守らなければならない、いい作品を書かなければならないというプレッシャーから、最初は市販の頭痛薬などを大量に飲むことで、ラリッた状態になり、だんだん市販の薬では聞かなくなり、病院からもっと強
い処方薬をもらいだして、病院でもらえなくなると東南アジアに旅行して不法に購入したり…という流れで、ヤク中になってしまう。息をして、食事を取り、トイレに行き、なかなか寝付けない夜をじりじり過ごすだけで、もう相当戦っているのだ。
呆けて寝ているように見えても、ボクサーに近い戦いをしているのだ。これ以上、何をがんばれというのか。
あと、「治りたい」という気持ちが全然なくて、「消えてなくなりたい」としか思えないとの事。
ただだんだんといい方向に向かうと(薬の影響で治っていくのだと思うが)、「治りたい」と「消えてなくなりたい」が半々になり、解放に向かうと「治りたい」が優勢になるとの事。
実際にうつ病を経験した人やそうでない人でも、読みいってしまう感動の作品になっているようです。
一色伸幸は「魔女の宅急便」の脚本を執筆したの?
スタジオジブリの代表作でもある「魔女の宅急便」。
宮崎駿監督作品でも人気のアニメ映画で、いまもなお「金曜ロードSHOW!」で多く放送されていますよね。
当初、シナリオは一色伸幸が務め、監督は片渕須直に内定しており、80分程度の作品が想定されていた。
しかし、シナリオが完成してみると宮崎駿監督のテイストとずれがあり、最終的に自分でシナリオを書くこととなった。
執筆していくうちに、宮崎色の強いシナリオとなり、本人が監督することとなった。
当初、監督予定だった片渕は、演出補として参加している。
実はこのように、当時若手として活躍していた一色伸幸さんがシナリオを担当するはずでした。
・今となっては、お二人の作品であったならばどんな作品になってたのだろうか…と、ますます思いを馳せてしまいます。
・「魔女の宅急便」は当初、一色伸幸さんの脚本で片渕須直さん監督予定だったことを思うと感慨深いものが。
ジブリファンの中では有名な話なのでしょうね!