今回の記事では、高田純次さんの若い頃を中心に調べてみました。
高田純次の若い頃がかっこいい!
↑は、学生時代学ラン姿の高田純次さんです。
鼻筋が高くて、イケメンですよね!これだけ見ると、お笑い芸人ではなく現在は俳優をやっている。と言われても「へー!そうなんだ!」と納得してしまいます。
高田純次さんは、高校から大学へ進学しようと現役で明治大学、青山学院大学など4校を受験していますが失敗しているようです。
それから1浪して、今度は東京藝術大学や武蔵野美術大学などの美術系の大学を受けますが、こちらもことごとく失敗し、最終的に東京デザイナー学院へ進学されています。
学生時代はポスターやその他広告媒体をデザイン・制作するアルバイトに励んだようです。
そして、1971年に劇団「自由劇場」の舞台を見て俳優を志すようになりますが、その時期に結婚した事から劇団では食べていけないので一旦は諦めて就職しました。
その時、入社したのが宝石販売会社「トキモト」で、そこでは宝石のデザインや鑑定をしていたようです。
その後、やはり役者への憧れは捨てきれなかったのか、1977年に「劇団東京乾電池」に入団し、そこからテレビ出演などの仕事を始めるようになりました。
そして、転機は1985年で『毎度おさわがせします』と言った人気ドラマや、『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』にレギュラー出演するようになり、全国区のタレントとなっていきます。
それ以降は、CMやドラマなどにも多数出演して行き、1989年には個人事務所を設立して代表取締役に就任しています。
当時から明るいキャラで人気者でいらしたようですが、若い頃はなかなかのイケメンだったようです。
今のテキトーキャラになった背景
20年以上高田純次さんのことを知る上沼恵美子さんによると「テキトー男になる前は神経質で。それまで100円ハゲとかいっぱいできてた」と証言しています。
今のキャラに変わったきっかけは、最初に大学受験で納得行く結果が出せずデザインの専門学校に行くことになったのですが、ここでも挫折してしまい、舞台をプライベートで見ている時に役者になりたいと思ったところ、金銭面でなんとかならずに、宝石関係の仕事についたんですね。
定職んついて、金銭的に苦労こそしなくなったが、30歳になった時にもう一度役者を!というのは大変だ。ということで、芸人の道へ活路を見出したそう。
しばらく経過してから、中京テレビの偉いポジションの人から「もうちょっと気楽にしては?」という提案をもらい、キャラを変更。今のテキトーキャラになったとのことです。
高田純次さんは今でこそ超有名超人気者ですが、ブレイクしのは遅めです。それは、1985年の38歳の時。北野武さんの番組に出演してブレイクしたのでした。
やはり、成功している人は紆余曲折経ていますね!
人生で深く沈んだ時期があるからこそ、高く遠くへ飛べるんですよね。
高田純次は現在どうしてる?
最近はバラエティーのほか、俳優としても数々のドラマに出演されているようです。
関西ローカルの番組も出演されて活躍中のようです。
数々の番組で活躍されており、あの明るいキャラクターで長く芸能界での地位を確立しておられ、お茶の間の人気者です。
高田純次について
- 生年月日 1947年1月21日
- 出身地 東京都調布市
- 身長 175cm
- 血液型 O型
- 学歴 東京デザイナー学院グラフィックデザイン科卒
- 所属 テイクワン・オフィス
高田純次さんと言えば、「テキトー男」としても知られるユニークなキャラクターで有名ですね。
そんな明るいキャラクターだけに、高田純次さんは元から芸人なのかと思えば、もともとは役者に憧れて劇団に入団する事から芸能界へ入っているようです。
テレビデビューも30歳を過ぎてからで、その間は色々苦労されたのだと思います。
現在はレギュラー番組やドラマにも数多く出演する人気タレントとなっています。
そして、現在も派手なトークと明るいキャラクターで変わらず大活躍されています!
高田純次には息子がいるの?
高田純次さんの奥様やお子さんについてしらべてみました。
高田純次さんは、まだ役者として売れない26歳の時に一般の女性と結婚されています。
奥様の名前は分かりませんでしたが、年齢は高田純次さんより1歳下で、当時は日舞の師範をされていたそうです。
そんな日本の伝統的な芸をしていて、25歳と言う若さで師範となっていると言う事は、実家が代々日舞を習得するような家柄なのかも知れませんね。
高田純次さんの奥様はかなり古風な日本人妻なのかも知れません。
高田純次さんには2人子供が居て、2人ともお嬢様です。
そして、長女の高田祐子さんは1976年生まれで、「TAGE」(タージュ)と言う日本のファッションブランドのデザイナーをしています。
この長女の高田祐子さんもかなりすごい人のようです!!
経歴を見ると、文化服装学院ファッション工科専攻科卒業後にいくつかのブランドで勤務後に渡英し、アシスタントとしてミラノ、ロンドン・コレクションなどに参加しています。
そして、帰国後に自身のブランド「TAGE」(タージュ)を設立して現在に至ります。
また、服飾専門学校在学中に「ファッションクリエーター新人賞国際コンクールパリ本大会」で日本最優秀賞を受賞するなど、学生の頃から才能を発揮していたようです。
現在は服のデザイン本も何冊か出版しておられ、特に「気分はマニッシュ」と言う2010年に出された本は、オシャレでセンスの良い服が作れると評判です!
レビューを見ても大絶賛なので、本当に才能ある方のようですね。
当初は高田純次の娘と言う事を隠して仕事をしていたそうですが、ある時高田純次さんにテレビでバラされて知られてしまったようです。
娘がこれだけファッション界で活躍をしてれば、親としてはテレビで自慢したくなるのも納得といった感じです。
また、次女に関しては「アルバイトをしながら美術活動(銅版画作家)をしている」と言う情報があるだけで、特にそれ以外の詳細についてはわかりませんでした。
高田純次さんはもともと美大を受験していましたし、画家で横尾忠則さんを『神』と崇めて尊敬しているので、そうした影響が次女に現れたのかも知れませんね。
そして、お嬢様の2人は今でも高田純次さんが住む実家で暮らしているようです。
また、孫娘もいると言う事なので恐らく娘さんは結婚しているのではないでしょうか。
ただ、お嬢様が2人共に結婚しているのか、どちらも子供がいるのかなどの詳しい情報は出ていなかったので、お嬢様の子供に関しては引き続き調べて見たいと思います。
これかも変わらずお茶の間に笑顔を届けて活躍してくださいね。