里見まさとさんには、息子がいるのでしょうか?
ザぼんちの解散理由や現在独身の噂について調べてみました。
里見まさとには息子がいるの?
1973年、漫才コンビ「ザ・ぼんち」のボケ役でデビューし1980年の漫才ブームで爆発的な人気を博したぼんちおさむさん。
1986年のコンビ解散後は俳優をされつつ大阪のライブハウスを中心にジャズシンガーとしても活動されています。
気になる息子はいるのかという情報ですが、
おさむさんは、一般の女性と結婚されています。
25歳の時、当時19歳だった奥さんとディスコで知り合われ、奥さんの気をひくために橋幸夫さんや加山雄三さんのモノマネを披露し仲良くなられたとのこと。
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そして奥さんとの間に、
息子さんと娘さんが、一人ずついらっしゃいます。
息子さんは、「雄一郎(ゆういちろう)」さんといい、現在は、新梅田食堂街(梅田阪急ガード下)の、居酒屋「大阪屋」のオーナーをされております。
娘さんは、「長瀬磨美(ながせ まみ)」さんといい、ニューヨークで画家として活動されているとのこと。
息子さんだけではなく、娘さんもいらっしゃったのですね。
出典:ぼんちおさむの本名は?相方は里見まさと!嫁や息子は?娘はニューヨーク!
↑おさむさんと息子さん。 笑顔がよく似ていらっしゃいますね。
娘さんの写真は残念ながらありませんでした。
その息子さんが働いている居酒屋についてですが、朝の7時から飲めて立ちも座りもあり朝食はオール300円らしいです!
飲むのは”仕事終わり・夜!”というイメージがありますが朝から飲みたい人にはもってこいの居酒屋ですね!
老若男女問わずに大阪大人気の居酒屋らしいです!
大阪定番の串カツもあるということで、大阪に行った際はぜひ行ってみたいですね!
里見まさとと亀山房代のコンビ「ザぼんち」の解散理由
続いては、「ザぼんち」の解散理由についてまとめてみました。
まさとさんはもともとプロ野球選手になりたくて興國高校に進学。
野球部に入部されるのですがレベルの高さについていけず野球を断念されたそうです。
その後は漫才師を目指し高校卒業後の1971年18歳の時、浪曲漫才トリオである「タイヘイトリオ」に弟子入りされています。
コンビを組んで活動するも一年ほどで解散したそうで、相方を求めて芸人養成所へ通われていた折、興國高校の同級生で同じく相方を探していたおさむ(ぼんちおさむ)さんと再会。
高校時代お二人はそれほど交流はなかったそうですが、この再会でコンビを結成することとなったのでした。
弟子入りしコンビを組んでも1年ほどで解散したのち、芸人養成所でおさむさんと再会したんですね。
この再会が今後の大ブレイクに繋がったのです。
ザ・ぼんちで大ブレイク
そして1973年、漫才コンビ「ザ・ぼんち」としてデビューされるも、当初は全く売れなかったのですが、バラエティ番組「ヤングおー!おー!」で、若手お笑いユニット「チンチラチン」のメンバーとして、売り出されると、注目を集めるようになり、1980年、全国放送のバラエティ番組、「THE MANZAI」で人気爆発。
漫才ブームの中での「アイビールック」スタイルの漫才もうけ(アイビールックとは、当時の若い世代に流行していたトラッドのファッション)
翌年の1981年リリースした「恋のぼんちシート」は大ヒット。
デビューから7年。
ヒットに至るまで相当な努力をしたのでしょう。
「恋のぼんちシート」
「ザ・ぼんち」は一躍、アイドル的な人気を博したのでした。
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当時は代表的なお笑いコンビとなり、最盛期では月収860万円もあったそうです!!
頂点からどん底へ
しかし、やがて漫才ブームが去ると、1986年「ザ・ぼんち」は解散。
まさとさんは、俳優業に転身されるのですが、収入は月七万円ほどにまで落ち込み、家族を養わなければならないまさとさんは、途方に暮れたのでした。
プロ野球選手の夢を諦め、コンビ結成・解散、ブームを繰り返し波瀾万丈の人生だったんですね。お笑いの世界も厳しいということがよくわかります。
そんな時、ワイドショー番組の、15分コーナーの仕事が舞い込んだそうで、まさとさんは「地獄の中の仏」だと飛びつくと、そこで若手ピン芸人だった亀山房代さんと出会います。
そしてやがて、亀山さんから「私と漫才コンビを組みませんか」と誘われるのですが、(※里見さんから誘われたという説もあり)亀山さんは、関西での認知度はそこそこあったものの、これといった芸はなく、ましてや漫才は素人だったため亀山さんとのコンビ結成は周囲の猛反対にあってしまいます。
つまり、もう少し待って「ザ・ぼんち」を再結成すればいいじゃないかというのが周囲の意見だったのですが、まさとさんは反対されて逆に熱くなり亀山さんとコンビを組むことを決意。
結婚しても同棲してもいい。
だけど子供だけは3年間我慢してくれ。と亀山さんに一つだけ条件を出されると、亀山さんが了承。
まさとさんは1989年37歳の時、コンビ「里見まさと・亀山房代」で、再スタートを切られたのでした。
亀山さんの理解もあり、コンビ結成に至ったのですね。
ただ「里見まさと・亀山房代」は、新人と同じ扱いのスタートだったため、出番は自分の弟子よりも前座を務めることとなり「ザ・ぼんち」時代、頂点を極め、トリも務めていたまさとさんにとってはとても屈辱的なことだったそうです。
それでもまさとさんは3年で形にしたいと思われたことからただひたすら稽古を重ねると、1995年には「上方漫才大賞奨励賞」。
1997年には、「第26回上方お笑い大賞」金賞。
そして結成9年目の1998年にはついに「第33回上方漫才大賞」を受賞し再び頂点を極められたのでした。
ちなみに「里見まさと・亀山房代」は亀山さんが結婚・妊娠したことをきっかけに、2001年に解散したということです。。
周囲からの反対の意見を押しきり、自分の意思を貫き通して結果を出すことは素晴らしいことですね。
しかしその後、残念ながら2009年元相方の亀山さんは急死。
まさとさんはひどいショックを受けられ色々なストレスから「パニック障害」を発症したと言われています。
里見まさとは、独身なの?
人生の苦楽をたくさん経験し奥さんの死を乗り越えた里見まさとさんですが現在は独身なのでしょうか?!
色々と調べてみましたがこれといった情報がありません。
2013年4月、大阪市内で、発売中の自著「おおきに漫才!人生は何歳からでもやり直せる」発売記念イベントを開いた際に、まさとさんは自分の弟子よりも前座の出番で失意のどん底にあったが「僕を、ゼロからスタートさせてくれ、悔しさでここまでやってこれた」と話し、つねに前向きだった亀山さんへの感謝は尽きないという事を語った。
テレビではあまり見ることがなくなった里見さんですが、今現在も舞台やラジオ番組で活躍されているそうです。SNSのTwitter(@SATOMIMASATO)も開設されており、移動中の出来事やプライベートもよく更新されています。プロ野球選手を目指していたこともあり、野球中継や結果報告、野球に対する自身の思いもつぶやかれています。
奥さんへの感謝の思いを今も胸に刻んで漫才を頑張っているんだと思われます。
たくさんの努力をし、若いころから同じ仕事を続けられるのは素晴らしいことですね。
いかがだったでしょうか。
今回は里見まさとさんについてまとめてみました。
プロ野球選手の夢を諦めたものの、漫才という一つの事を追求していく姿は見習いたいですね!!
これからのご活躍もお祈りしています!!