中村伊知哉さんには息子がいるのでしょうか?
どんな人物なのか、経歴について調べてみました。
中村伊知哉には息子がいるの?
中村伊知哉さんは、日本の政策学者、慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科教授です。
中村伊知哉さんは、息子がいるのでしょうか?
中村伊知哉さんののファンにとって「子供」は非常に気になる内容ですね。
ファンだけでなく誰でも多少は気になる内容じゃないでしょうか。
「何となく噂レベルで聞いたー」とか、「雑誌の広告で見たな―」とか、そういう状態でも中村伊知哉さんの知名度なら、根拠が無くとも子供の噂はどんどん拡散されて行ってしまいます。
噂には尾ヒレ背ヒレが付くと言います。
実際に根拠のある話をしたいですね。
スポンサーリンクまず、中村伊知哉さんについてのwikipediaのページを確認したところ、子供に関する記載はありませんでした。
次に、中村伊知哉さんと子供の関係を各メディアの記事から調べましたが、これもやはり関連のある物が見つかりませんでした。
息子どころか、結婚の情報もみつかりませんでした。
色々噂があるようですが、結婚もしていないのでは…?と思います。
中村伊知哉のプロフィール及び経歴
1961年生まれ。京都大学経済学部卒。
慶應義塾大学で博士号取得(政策・メディア)。
1984年、ロックバンド「少年ナイフ」のディレクターを経て郵政省入省。
通信・放送融合政策、インターネット政策を政府で最初に担当するが、橋本行革で省庁再編に携わったのを最後に退官し渡米。
1998年 MITメディアラボ客員教授。
2002年 スタンフォード日本センター研究所長。
2006年より慶應義塾大学教授。
内閣官房知的財産戦略本部コンテンツ強化専門調査会会長、文化審議会著作権分科会専門委員などの委員を務める。
社団法人融合研究所所長、デジタルサイネージコンソーシアム理事長、デジタル教科書教材協議会事務局長、NPO「CANVAS」副理事長、社団法人ソーシャルゲーム協会事務局長、ミクシィ社外取締役などを兼務。
◇主な著書
『中村伊知哉の「新世紀ITビジネス進化論」』(ディスカバリートゥエンティワン) 2011
『デジタル教科書革命』(ソフトバンククリエティブ、共著) 2010
『デジタルサイネージ戦略 電子看板最前線』(アスキー・メディアワークス、共著) 2010
見ての通り、所長、教授、取締役など兼務の数がすごいですね。
相当頭の良い方なんでしょう。
また、大学を設立する事も発表されています。
2020年にICT専門の大学を開校することになりました。
ICTをベースにしてイノベーションを起こす人材を、産学連携で育成します。
「i専門職大学」、略して「i大」です。私が学長を務める予定です。
文科省への正式な申請は来年ですが、構想がほぼまとまりましたので報告致します。
大学を開校し、学長を務めると…。素晴らしいですね
教員の多くはいわゆる大学人ではなく、ICT業界のプロを採用する計画です。
実社会で実績のあるかたがたとともに、「学びながら作る」場とします。
ICTの大学なので、授業の大半はオンラインで可能。
どこにいても学べるようにします。
反転学習やアダプティブラーニングの先端を取り入れます。
世界の著名教授、研究者、専門家のバーチャル出講も揃えます。
バーチャル+リアルの学習環境です。
英語による授業を充実させ、英語でビジネスができるようにします。
英語「を」教えるのではなく、英語「で」学ぶスタイルです。
留学生も多数になることが見込まれます。半数以上を目指します。
国家戦略特区を活かします。
本校舎は東京都墨田区、スカイツリーの近くに新設します。
ポップ&テック特区の東京港区 竹芝CiPにサテライトを置きます。
ここはデジタル系の企業や国際機関、慶應やスタンフォードなどの大学組織によるコミュニティとして、同じく2020年に街開きを迎えます。
研究、ビジネス、起業などに関する規制緩和を導入する拠点として、本大学も中核となってイノベーションに挑戦します。
「変化を楽しみ、自ら学び、革新を創造する。」これが教育理念です。
AIやロボットで半分の仕事が失われる。
これまでにない仕事を生む。
これからの世代が具備すべきは、予見できない変化が続くという認識に基いて、それを愉快に乗り切っていく気構えとスキルです。
とても最先端でスキルが高い内容ですね。
来年開校という事で、入学希望者も多いのではないでしょうか。
中村伊知哉がディレクターを務めたロックバンド「少年ナイフ」について
「少年ナイフ」のディレクターを務めた中村伊知哉さんですが、インタビューでこのように語っています。
ーー在学中に少年ナイフのプロデュースをなさっていたんですね。
中村:はい。詞や曲を書いたり、ちょこっとギターを弾いたりしている裏方ですね。
彼女達を見てるとピュアでちゃんと表現しようとしてるので、自分はそれを下で支えたいなという気持ちがありまして、今もずっとやっています。
--ご自身はもともと音楽の道に行こうという気持ちはあったんですか?
中村:ありました。というか大学の時は音楽しかしていなかったですね。
当時は日本のパンクが出てきた頃で、ちょうどその辺りの方々と音を鳴らしていました。
私の数年上に近藤等則さんがいらして、2年上にボ・ガンボスのKYON、2年下に亡くなった どんとがいました。
--みんな京都大学なんですか?
中村:そうなんです。KYONは滅茶苦茶頭の良い工学部で、近藤等則さんも工学部ですね。
近藤さんはここ(スタンフォード日本センター)によく来ますけど、僕が大学にいた時は西部講堂の辺りで、いつも朝から晩までトランペットを吹いている人っていう感じでしたね。
--(笑)。
音楽の道を考えていたとは、今の経歴から考えると意外ですね。
たくさんの役割をこなす姿は素晴らしいです。
中村伊知哉さんの今後の活躍も期待したいですね。