山田久志の息子の名前は晋平?山崎武司との間に確執があった? | 芸能人の息子まとめ

山田久志の息子の名前は晋平?山崎武司との間に確執があった?

山田久志さんをご存知でしょうか?

アンダースロー投手としては、日本プロ野球史上最多記録を保持しています。

今回は彼の息子についてまとめてみました。

 

山田久志の息子の名前は晋平?

山田久志には息子がいます。

お名前は「山田晋平」というそうです。

情報がとても少ないのですが、名前は「晋平」さん。

普通に読めば「しんぺい」さんでしょう。

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年齢は不明なので、父親の年から推測してみましょう。

山田久志の生年月日は、1948年7月29日(年齢71歳)

父親が70歳、息子年齢30代半ば~40後半くらいでしょうか。

もう立派な大人ですね。

ここで父、山田久志のプロフィールを少しご紹介しておきます。

  • 名前:山田久志
  • 出身地:秋田県
  • 生年月日:1948年7月29日
  • 職業:監督・コーチ・野球解説者
  • 元プロ野球選手(投手・右投右打)
  • 史上最高のサブマリン投手

優秀な選手で、引退後は監督としても活躍されています。

そんな彼の息子仕事何をされているのでしょう…?

スポーツメーカーのミズノで働いている。

大手スポーツメーカーお勤めなんですね。

職種は…?

ミズノでは、修理職人として活躍しているそうです。

修理職人とは?

兵庫県にある波賀工場は、野球グラブやミットの製造、修理サービス行っています。

メジャーリーグや日本プロ野球で活躍する選手たちのオリジナルグラブやミットの製造も行なっています。

グローブとなど野球用品を修理されているのでしょうね。

野球好きなんでしょうね!

プロ野球戦手とか、プロ関連のお仕事には行かなかったんでしょうか?

実は息子前職は…?

息子さんは、JR東日本東北で野球をしていた。

昔イチロー選手の打撃投手を務めていた。

社会人野球をしていたみたいですね。

加えてイチロー打撃投手もしていたんですね。

イチローと言ったら、いまや世界的に有名な選手ですよね。

そんな彼の成長に一役買っていたなんてすごいですね。

ちなみに打撃投手とは…?

打撃練習の際に意図的に打たせる球を投げるのが役割である。

現在のプロ野球においては各球団が専門の打撃投手を雇用している。

なるほど専門職みたいですね…。

しかもプロの練習相手なので、それなりのレベルでないと採用されないようです。

  • 主に現役を退いた投手が務めることが多い。
  • ドラフト下位あるいはドラフト外で入団した選手を用いていた。

プロで活躍するのは難しいが、実力は同じくらいということですね。

ということは山田久志の息子も、プロレベルの腕だったんでしょう。

打撃投手からプロへの道もあるようなので、もしかしたらプロ野球選手を目指していたのかもしれませんね。

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現在は野球界を陰から支えるべく、スポーツメーカーで活躍されているようです。

 

山田久志と山崎武司の間には確執があった?

山田久志と山崎武司の間に確執があったと噂されています。

山田久志が中日監督の時、山崎武司をないがしろにした。

ネット上では、このように言われており、山田久志と山崎武司の間にはトラブルがあったようです。

山崎武司プロフィールコチラ

  • 名前:山崎武司
  • 生年月日:1968年11月7日(50歳)
  • 出身地:愛知県
  • 職業:野球評論家

元プロ野球選手。87年中日に入団、03年にオリックスへ移籍、05年からは東北楽天で活躍、12年に中日へ復帰。13年10月現役引退。

とても優秀な選手だったようですね。

山田久志が中日の監督だったのは、02年から03年のわずか1年。

その短い間に何が起きたのでしょう?

事の始まりは01年

山崎武司は、01年、史上376人目となる通産1000試合出場を記録。

この年チーム最多の25本塁打を放ったが、所属球団・中日の評価は低かった。

活躍したのに評価が低いなんて、不満ですよね。

この評価に納得できず、FA宣言し、横浜ベイスターズへの移籍を考える。

移籍をしようとしていた所で、新監督山田久志が就任します。

山田新監督から一緒に戦ってほしいと説得されて残留した。

中日残留を決意した山崎武司でしたが…。

その年、事件起きてしまうのです。

02年、プロ野球シーズン開幕。

山崎武司は元々スタートが遅いタイプな上、二軍落ちするなど調子は良くなかったそう。

やっと一軍に上がり、代打のチャンスが巡ってくるものの、なかなか打てず苦しんでいたある日。

「このチーム(中日)を奈落の底に落とす選手がいる」という記事が新聞に出た。

これは、山田久志監督が言った言葉でした。

つまり「足を引っ張っている選手がいる」という意味ですよね。

これを見た山崎武司激高インタビューでこう語っています。

ブチッと頭にきて。

「はっきり物を言え、こらタコ!」という気持ちになって、監督に「名指しで言ってください」と抗議したんです。

それからはひと言も口をきかないし、目も合わせない。

「外に出してくれ」と言ったんです。

この時から、絶縁状態になってしまったようです。

山田久志監督は名指しで山崎武司批判したわけではないのですが、そう受け取られるような言い方だったんでしょう。

山崎武司にしてみれば、「山田久志監督に慰留されたから中日に残ったのに、裏切られた」という気分だったんでしょうね。

翌年にはオリックスに移籍してしまいます。

確執があったというのは本当のようです。

山田久志の息子について、いかがだったでしょうか?

プロ野球選手ではありませんでしたが、野球を支えるお仕事をされているようですね

これからも縁の下の力持ちで頑張ってほしいですね。

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