俳優・内田潤一郎の息子は野球選手の友永翔太?父親はどんな人?

本日は俳優の内田潤一郎さんについてまとめてみました。

俳優・内田潤一郎さんのプロフィールや経歴

内田潤一郎 (うちだ じゅんいちろう)

生年月日:1961年7月14日
出身地:東京都
身長:173cm
経歴:文学座附属演劇研究所を卒業、1986年 入団
特技:野球・スキー・アコースティックギター・四輪駆動車の悪路走行(キャメルトロフィー日本予選最終選考2回出場)・普通自動車免許・自動二輪車免許(中型)・オートキャンパーについての専門知識あり

内田潤一郎さんは数々の作品に出演されています。

出演舞台一覧

・2016年  『集金旅行』紋付の男役(各地)
・2014年  『コラボレーション』 パウル・アドルフ役
・2013年  『無欲の人』 和田三造役
・2011年  『喜劇 ファッションショー』 警官役
・2010年  『他人の目』 演出(稽古場)
・2007年  『白バラの祈り』 バウアー役
・2007年  『沖縄』 伊原野正善役
・2005年  『火山灰地』 青年団3役

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・2016年  『スポットライト(BACK STAGE STORY)』『子午線の祀り』『彦市ばなし』『二十二夜待ち』『妖怪たち』『小林多喜二:早春の賦』『新・裸の大将放浪記』『ルビー・ムーン』『55WARDS,15 SIGHTS』『横浜市港北区民ミュージカル』(演出)
・2017年  『子午線の祀り』
・2017年  『愚か者達へのレクイエム』

そしてテレビやラジオにも出演をされていました。

・テレビ朝日『はぐれ刑事純情派』
・テレビ朝日『仮面ライダー カブト』
・NHK FMシアター『みんな、大好き』

上記の様に、内田潤一郎さんは俳優として幅広い活動をされていたことがわかりました。

俳優・内田潤一郎の息子は野球選手の友永翔太?

友永翔太(ともなが しょうた)は、中日ドラゴンズに所属するプロ野球選手(外野手)。

生年月日(満年齢) 1991年4月1日(27歳)
身長/体重(血液型)170cm/76kg(O型)
ドラフト年(順位)2014年(3位)
出身地  神奈川
経歴 東海大相模高-国際武道大-日本通運-中日
投打 右投げ左打ち

実父は俳優の内田潤一郎

神奈川県秦野市出身。

秦野市立本町小学校から本町中学校に進み、中学時代は「秦野リトルシニア」でプレーした。

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東海大相模高校では甲子園の出場経験は無い。

なお、東海大相模高では1学年上に菅野智之、田中広輔が、同期に大田泰示、角晃多が在籍していた。

当時の名字は友永ではなく内田だった。

国際武道大学1年生と3年生の時にそれぞれ千葉県大学野球・秋季リーグのベストナインに選ばれた。なお、それまで内野手だったが、2年生時の途中で外野手に転向している。

2013年に日本通運に入社。2014年10月29日時点での社会人通算は110打数33安打、打率.300。

2014年10月23日に行われたプロ野球ドラフト会議で中日ドラゴンズから3位指名を受け、契約金5500万円、年俸1000万円(いずれも推定)で仮契約し、入団した。

入団発表会で背番号1が発表されたが、中日で新人選手が背番号1を背負うのは、1998年に入団した福留孝介以来16年ぶり。

ドラフト後の11月に行われた日本選手権大会初戦のバイタルネット戦では5打数5安打4打点を記録、この年の社会人野球ベストナイン(外野手)に選ばれた。

身長170cmは入団時では中日の選手の中で最も低い小柄な選手だが、走攻守そろった即戦力候補。

50メートル5秒8の俊足で、入団時にも「足に自信があります」と話した。

2013年に巨人に入団した菅野智之は友永の東海大相模時代の1年先輩で、友永は入団時にプロで対戦したい投手として菅野の名前を挙げた。

プロ初安打はその菅野から放っている。

スピード感のあるプレーを見せる外野手。

3年目の昨季は二軍で106試合に出場。

シーズン終盤には一軍でプロ初打点を挙げるなど、飛躍の足がかりをつくった。

今季は打撃をさらに磨き、与えられたチャンスで結果を残す。

お父様の内田潤一郎さん同様、友永翔太さんも野球界で活躍されている様ですね。

親子ともに活躍できるなんて本当にカッコイイ家族ですよね。

息子さんには今後もプロ野球選手として子供たちに夢をファンに希望を与えていってほしいですね。

内田潤一郎の父親はどんな人?

1961年7月14日  父 内田 喜三男(舞台装置家)母 恵子(大学体育教授)の長男として東京にて生まれる。

内田喜三男(うちだ きさお)

内田さんは、北海道出身。

創設間もない時期に劇団民藝に入団し、長年にわたり舞台装置、美術、舞台監督を務めた。

手掛けた主な作品に、「審判 神と人とのあいだ・第一部」(70年)、「アンネの日記」(84年~96年)などがある。

内田喜三男さん2011年12月7日、肺炎のため都内の病院で死去した。享年80歳。

内田潤一郎さんの父親は舞台装置家、母親は大学の体育の先生だったことがわかりました。

以上、内田潤一郎さんについて調べみた結果をまとめてみました。

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