今回は俳優の田村亮(たむら りょう)さんについてみていきましょう。
俳優田村亮の息子の名前は田村幸士。画像は?
『暴れん坊将軍』にて2代目・大岡忠相を演じるなど、時代劇で活躍した田村亮さん。
端正な顔立ちと高い演技力で親しまれた二枚目俳優・阪東妻三郎さんの四男で、一般的には田村三兄弟として知られています。
兄らとは異なり、いわゆる「2時間ドラマ」に多くキャスティングされており、1986年頃からは山村美紗原作番組にほぼ毎年出演している(2000年からは『狩矢父娘シリーズ』にて狩矢警部役で出演)。
兄弟には俳優の田村高廣(長男)、元俳優・田村正和(三男)がおり、田村三兄弟それぞれで息長く活躍してきた(マネージャーを務めた次男・田村俊磨を含めて田村四兄弟とする場合もある)。
そんな田村亮さんは結婚していて息子さんがいらっしゃいます。
息子さんは、同じく俳優として活躍している田村幸士(たむら こうじ)さんです。
俳優田村亮の息子・田村幸士の学校はどこ?
田村幸士さんは俳優になる前にベンチャー企業に勤めており、その後スポーツマネジメント会社に転職し、さらには番組製作会社に転職したという異色の経歴の持ち主です。
幸士は、学習院大経済学部を卒業後、IT会社やスポーツマネジメント会社に就職。
その後は制作会社に転職し、NHK局内でADとして働いていた。
それまでは、「華麗すぎる一族と比較されるのが嫌だったから」と、一般人として生活していたそうだが、30歳を過ぎた2007年に俳優に転身した。
俳優より会社員時代のほうが収入は多かったかもしれませんね。
そんな田村幸士さんが俳優を志すきっかけとなったのが、番組製作会社で目にする機会が多かった祖父達の演技でした。
祖父であるバンツマの印象については「役者としてだけではなく、自分で道を切り開いて活躍の場を作るということはすごいなと思っています」と尊敬し、「私は以前、番組の制作会社で働いていまして、役者になることを父には反
対されていたんですけど、僕自身も自分で企画をして出る場所を作るので、役者をやらせてくれと説得しました。改めてそういうことは大事なんだなと感じることができました」と自分と重ね合わせて語った。
田村幸士さんはそれに魅せられ、自らも俳優という仕事に憧れを持つようになりました。
俳優田村亮と田村正和の関係は?
田村亮さんの兄である田村正和さん。
今や70歳を超える高齢ですが、昭和を代表するイケメン俳優といえますね。
田村正和さんの代表作といえば、あの「古畑任三郎」ですね。
長男の田村高廣は、1928年生まれで、2006年、77歳で亡くなりましたが、戦後、木下恵介監督の「二十四の瞳」や「喜びも悲しみも幾歳月」で頭角を現し、勝新太郎とコンビを組んだ「兵隊やくざ」では、インテリの古参兵の役で新境地を切り開きました。
田村正和も、高倉健と同じく、プライベートはいっさい見せない謎の俳優です。
共演した俳優は誰もが、現場を離れても、打ち上げの席でも、田村正和が、あの気取った二枚目のスタイルを崩したのを見たことがないと語っています。
田村正和さんは成城大学出身で、若くして同じ成城大学の女性と結婚し、娘さんをさずかっています。
もう孫もいるようですが、人気となった頃にはすでに結婚していたので、プライベートはあまり表に出ることがなかったようです。
田村正和は、テレビドラマを中心に、その年代に合ったいい男を演じ続けてきました。
「眠狂四郎」、「うちの子にかぎって…」、「パパはニュースキャスター」、「ニューヨーク恋物語」、そして「古畑任三郎」など、ざっと上げても、当時の人気ドラマばかりです。
兄弟で今も交流があるかは不明ですが、間違いなく一番の出世頭である田村正和さんを尊敬していたに違いないでしょう。
田村正和は俳優を引退した?
最近めっきり姿を見せなくなった田村正和さんですが、2018年4月、FRIDAYの取材に対し俳優業からの引退を宣言していました。
同誌によると、田村は周囲のごく一部に対し引退する意向を告白。
今月中旬には、田村の功績を労う食事会が都内で行われたという。
同誌は日課の早朝ウォーキングに出かける田村を直撃。
すると田村は「自分の中で辞めてもいいかなと思った」「自分としては、もう十分にやったなと」と事実上の引退宣言。
引退を決断したきっかけは今年2月放送の主演ドラマ「眠狂四郎 The Final」(フジテレビ系)。
完成試写を見て「これじゃダメだな」と思ったという。
父が名優・阪東妻三郎というサラブレッドである田村正和さんは、まだ9歳のときに父親を亡くしています。
10代後半から仕事に打ち込んできたので、もう十分やったという気待ちになってもおかしくありませんね。
「13年には死亡説が流れ、自宅に報道陣が集結。
結局これはデマでしたが、以前のように声を張り上げるのが困難になっていたようです。
インタビューでは近づかないと声が聞き取れないと、周囲も体調を心配していました」(芸能記者)
ひっそりと身を引いたのは、田村正和さんなりの流儀だったのでしょう。