今回はブロードキャスターのピーターバラカンについてみていきましょう。
ピーターバラカンについて
ロンドン大学東洋アフリカ研究学院を卒業し来日後は執筆活動、ラジオ番組への出演など知名度を高めたピーターバラカンさん。
1984年には「ザ・ポッパ−ズMTV」の司会でテレビへも出演し、「CBSドキュメント」の司会で活躍しました。
出生はロンドンで、ユダヤ系ポーランド人の父とイギリス人とミャンマー人を両親に持つ母の間に生まれます。
大学卒業までロンドン在住。
80年代初期から「Bay City Blues」や「BARAKAN BEAT」、「WEEKEND SUNSHINE」など、数多くの自身のラジオ番組を通して良質な音楽を人々に届けている。
また、88年から海外の社会や文化などのドキュメンタリーを紹介する番組「CBSドキュメント」では司会を26年間務めた。
初来日してから40年以上たった現在も、シンコーミュージックやヨロシタ・ミュージックで働いた経験を生かして活躍しています。
現在もブロードキャスターとして多岐にわたり活動しているピーターバラカンさん。
私生活では翻訳家の吉田真弓さんと結婚していて、息子さん・娘さんをさずかっています。
ピーターバラカンの息子はShinnosuke Barakan。
息子はシンノスケ・バラカンさんといい、DJとして活躍しています。
息子のシンノスケ・バラカンはDJ。
テレビドラマの「浮浪雲」にハマり、息子が出来たら「新之助」と名付けようと決める。
どうやら息子さんも父であるピーターバラカンさんに影響され、音楽活動をしているようですね。
まずはHIGHFLYERSの日本に住む外国人にインタビューをするコーナー「BICULTURAL SOULS」。
2016年8月号にゲスト出演したピーター・バラカンと、その息子のシン・バラカンによる親子トーク&B2Bからスタート。
B2Bとは“back to back”の略であり、複数のDJが順番に曲を掛け合うスタイルのプレイのこと。
通常は、曲を次々と繋いでいくものだが、ここに親子トークが加わる。
ラジオDJの様に、1曲掛け終わると、ピーターが解説し、シンがその曲に対して、メロディやリズムや背景や文脈、そして何よりもグルーヴなどを感じ取り、その場で次の曲を選曲するというやりとりが1時間に渡り展開されていく。
音楽イベント「selfsercvice vol.7」では親子共演も果たしていました。
娘さんの情報はあまりないようですが、イギリスの大学に通っていたようです。
今後も親子共演をたくさん実現してほしいですね!
ピーターバラカンの自宅の場所・住所はどこ?
ピーターバラカンさんは現在奥さんと一緒に日本で暮らしているようですが、どこに住んでいるかはわかりませんでした。
ご自宅におじゃました我々を優しく出迎えてくれたバラカンさん。
バラカンさんはラジオ放送のため、NHKとInterFMへ行く週2日は必ずクルマに乗る。
日常的に使う“必需品”だからこそ、色にもカタチにもこだわる。
現在、ピーターバラカンさんは東京で音楽フェスティバルを開催するなど東京を中心に活動しています。
このインタビューを見ると「NHKとInterFMへ行く週2日」とも書かれているので東京に住んでいる可能性が非常に高いと思われます。
都内に住んでいるのは間違いなさそうですね。
仕事の都合上、地方に住んでいるのは考えにくいですからね。
40年以上も日本に住んでいるピーターバラカンさんですが、おしゃれなお家に住んでいるのでしょうね。
ピーターバラカンと結婚した妻・吉田真弓
ピーターバラカンさんと吉田真弓さんは、1981年に結婚しています。
ピーターバラカンさんは1974年に来日していますので、来日して7年目に結婚していたのですね。
真弓さんは翻訳家。
夫の一部の仕事を手伝い、特に夫がキュレイターを務める音楽フェスLive Magicwww.livemagic.jp)を事務局の一人としてサポートしている。
吉田真弓さんは翻訳家として活躍しているようですね。
最近はテレビだけではなく、海外を取り上げるネット番組が増えたことにより、映像関係の翻訳の仕事が増えているそうです。
ピーターバラカンさんと吉田真弓さんが結婚されたのは1971年なので、結婚生活は47年目になりますね。
僕は’69年に大学に入ったんですけど、あの頃イギリスでは日本という国を今ほど認識していなかった時代なので、日本語を選んだときは、うちの父の親戚連中が「あいつちょっと頭おかしいんじゃないの?」って思ってたくらいです。
もともとイギリスの大学で日本語の勉強を始めたピーターバラカンさんは1971年に来日、当時イギリスで日本語を専攻するのは珍しく、周りの人間からは冷ややかな反応をされていたそうです。
2人が出会った詳しい馴れ初めは明かされていませんが、日本語がきっかけになったのでしょう。