【さくらんぼ農園業で大忙し】大泉逸郎は2024現在も元気モリモリ!病気(脳梗塞)の後遺症は今も。

今回紹介させていただく人は、演歌歌手の大泉逸郎(おおいずみ いつろう)さんです。

大泉逸郎さんは、1990年に自分の孫をテーマを歌った『孫』でデビューされました。

本業はサクランボの農家を経営されています。

そんな大泉逸郎さんの気になる息子さんがいるのか?

現在はどうしているのか?

病気という噂は真実なのか?

死亡説があるがどうなのか?など皆さんの気になる事をまとめてみました。

大泉逸郎の現在の仕事・活動内容

大泉逸郎の生年月日は1942年4月17日ですから、現在は80代です。

スポンサーリンク

『孫』以外の歌が流行った記憶が私はありませんでした。

歌手としては現在は引退しているのでしょうか。

  • 2017年にシングル『婿どの』を発売
  • 2018年6月20日にシングル『二度とない人生だから』を発売
  • 2019年6月19日には芙蓉の花のように
  • 2020年6月10日にはありがてぇなあ

このようにこれまでは年に1枚のペースでシングルを発売されていましたが、2021年以降シングル曲の発表はありません。アルバムも2019年までは毎年発売されておりまして、2021年10月20日に全曲集というアルバムを発表して以来止まってしまっているので、歌手活動は休止しているのかもしれません。

もう80代ですからね。健康第一にされているのではないでしょうか。

曲を聞くと、自分の人生を歌にしているのではないかと感じます。

実は、大泉逸郎さんの本業はサクランボ農家の経営者なんです。地元(山形県河北町)でサクランボを収穫しながら歌手として活動していました。

農園名は「大泉逸郎さくらんぼ農園」といって、山形新幹線停車駅のさくらんぼ東根駅から車で約20分の距離のところにあります。作付面積は約1800坪と広大。佐藤錦、紅さやか、山形美人、紅秀峰、高砂などの品種を70本ほど栽培しているんです。

収穫のピーク時には朝5時に起床して収穫とパック詰めの繰り返し。ハウス横でとれたさくらんぼの即売をしており、接客も大泉逸郎さん自らが行うんだとか。

週末にはバスツアーなどで観光客や大泉逸郎ファンが農園を訪れるそう。その接客をしながら合間に食事をしたり雑草の除草作業をしたり、大忙し。ものすごく働き物ですね!社長ですから当然と言えば当然ではありますが、80代の身体にはさすがにこたえるのではないか。と思います。

現在は、歌手活動よりも本業に時間を割いておられるのかもしれません。

 

大泉逸郎は2011年に病気・脳梗塞を発症していた!

大泉逸郎さんが脳梗塞を患ったことが過去にあります。

2011年1月18日、大泉逸郎さんはその日、自宅近所に住んでいる友人宅を訪れたところ突然、めまいと頭痛に襲われました。すぐに友人の車で病院に行って検査を受けると、小脳に脳梗塞が見つかり、緊急入院することになったのです。

脳梗塞の原因は不整脈でした。

心臓にできた血栓が脳に飛んで詰まってしまったことで脳梗塞になったとのことです。

 

大泉逸郎さんは2ヶ月の入院を余儀なくされました。入院中は左胸にペースメーカーを入れる手術を行い、無事成功。手術後は順調に回復し、2011年3月3日に無事に退院されました。

しかし、入院中に医師から「平衡バランスがとりにくくなるかもしれない」と言われていた通り、現在も大泉逸郎さんは真っ直ぐ歩くことが困難なようです。

ただ、それ以外にの麻痺や言語障害といった症状はありませので、ステージ上で歌を歌うことそれ自体は大丈夫なようです。

後遺症について、大泉逸郎さんは「ステージで歌う時に暗い階段があると怖い」「舞台袖の階段とか暗い場所は今でも怖い」「これはもう友達みたいなものだと思って、仲良く付き合っていくしかない」と語っており、現在でも毎月病院を訪れて血液検査やペースメーカーの検査を受け、血液をサラサラにする薬を飲み続けているんだとか。

 

脳梗塞とか病気って突然にやってくることがありますね。

年齢を重ねていくと少しの変化でも気をつけないといけないですよね。

頭痛だからと言っても油断できないですね。

私も頭痛持ちなので気をつけないといけないなって感じてしまいました。

早期発見が功を奏し、順調に回復した大泉は「体調は大丈夫。医者からは控えるように言われているが、仕事をすることが自分には一番の薬だと思っているので。

今回の件で皆さんにご心配をおかけしたので、今後は心配をかけない程度に頑張っていきます」と意気込む。

スポンサーリンク

お仕事が大好きな大泉逸郎さんですね。

脳梗塞って後遺症などが心配ですよね。

脳梗塞を起こしてしまった人は、酷い人なら喋るのも困難になってしまう人もいます。喋るのが困難になってしまうと大好きな歌も歌うのがつらくなっていたかもしれません。

バランスの障害が出ているようですが、舞台などでは気を付けてほしいですね。

 

大泉逸郎の死亡説はデマ

大泉逸郎さんの死亡説があるようですが、デマなのでしょうか?

結果から言いますとデマです。

何故そんな噂が流れたのか気になります。

230万枚を超える大ヒットとなった大泉逸郎(75)の「孫」などを作詞した作詞家・荒木良治さんが老衰のため、23日午前9時25分、山形県西村山郡西川町内の養護老人ホームで亡くなったことが24日、分かった。92歳。

あれだけ売れた『孫』を作詞された先生の死去で勘違いされて噂が流れたっという事もあるかもしれませんね。

大泉逸郎さんも現在は77歳。

シングルは発売されているようですが、テレビでお顔を拝見する機会もなくなってきているようなので、亡くなっているのではという噂が流れている可能性もあります。

2019年の現在でも脳梗塞の後遺症は多少残っているようですが、現在もシングルを出されていますし、サクランボ農園も頑張っておられるようです。

これからも、無理しないでサクランボ農園・歌手としても頑張っていただきたいですね。

大泉逸郎には息子がいるの?

大泉逸郎さんには、お孫さんがいるのは有名ですね。

自分の孫がとても可愛いくって歌にしてしまったぐらいですからね。

大泉逸郎さんに息子がいるのか、娘さんなのか気になりますよね。

調べてみますと、大泉逸郎さんには息子さんがいました。

家族(長男)が白血病であったこともあり、骨髄バンク支援に熱心である。

自身の骨髄を移植して息子の命を救った経緯がある。

長男さんが白血病になり骨髄バンクを熱心に支援されていたようです。

大泉逸郎さんの骨髄が一致して移植手術が行われました。

一致してよかったですよね。

まだたくさんの患者さんがドナーをまっています

少しでもたくさんのドナーが集まれば、少しでもバンクに協力できればと、支援活動をライフワークとして行っています。

恒例のチャリティコンサートやドナー登録など、皆様のご協力を待っています。

息子さんがドナーが必要になったことで骨髄バンクの大変さがわかったのでしょうね。

沢山のドナーを待っている人を助けてあげたいと。

チャリテイーコンサートなどもやっている大泉逸郎さんでした。

息子さんは長男さんだけなく次男さんもいるようです。

病気がきっかけで長男さんが居るという情報だけが拡散していますが、次男さんもいるようです。

2011年は、東日本大震災があった年。

東北に住む大泉逸郎の家族も例外ではなく、大きな影響を受けました。

大黒柱の病気に加え、次男家族が津波の被害に、妻の実家が原発の被害に遭うなど、なにかと大変な1年に。

画像を見ても東日本大震災が大変だったことが分かりますね。

大変なことが重なる時って重なるんですね。

大泉逸郎さんには息子さんが2人いることが分かりました。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)

Copy Protected by Chetan's WP-Copyprotect.