今回紹介させていただく人は、俳優の温水 洋一(ぬくみず よういち)さんです。
大学を卒業後劇団「大人計画」に在籍されていました。
通称・ぬっくんこと温水洋一さんに息子さんがおられるのか?
若い時はイケメンだったと話題に?
最近姿をお見かけしないが死亡の噂?
など気になる事をまとめてみました。
目次
温水洋一の嫁は大島優子似!息子はいない。
温水洋一さんが結婚されているのであれば、お子さんが居るとしてもおかしくないですよね。しかし、子供がいるという情報はありません。
温水洋一さんは1997年、33歳の時に4歳年下の女性と結婚しています。奥さんは、温水洋一さんがかつて所属していた「大人計画」の劇団員だった人です。
顔は、女優の大島優子さんにそっくりといいますから、きっと美人さんなのでしょう。
劇団員同士ってお金の面も大変だったんでしょうね。
年収が200万円にも満たないなど、生活が大変だったようです。
そんな状況で結婚に踏み切ったというのは、相当な覚悟だったはずです。
苦しい生活を覚悟出来るほどに好きだったんでしょう。
残念なのですが、奥さんの事もですが、子供さんの情報もほとんどありませんでした。
温水洋一さんは家族の事などプライベートの部分は公開されていません。
ただ、夫婦仲はとても良いようで、どんなに寝るのが遅くても、どんなに起きるのが早くても、毎朝一緒に食事をすることをルールとしているんだとか。素敵ですね!
さらには、3日に1回くらいは妻とスーパーに出かけて、一緒に買い物するんだとか。一緒に何を食べるかメニューを話しながら、買い物するんでしょうか。
その他、買い物に出かける際の普段義は妻に見てもらうそう。
仲良しラブラブですね!
温水洋一の若い頃がイケメンと話題!
温水洋一さんの若い頃がイケメンだったと話題になっているようです。
若い時どんな感じだったのか気になりますね。
若い時の画像です。
優しそうな雰囲気は変わらないですね。
若い頃は髪の毛はまだフサフサあったんですねw
人のよさそうな感じは昔も今も変わらないようですね。
憎めないキャラとツッコミどころ満載の風貌からバラエティ番組でも活躍しています。
俳優さんがバラエティでも活躍されてしまうとお笑いタレントとしては厳しい状況だと思います。
俳優としても独特なキャラで印象が残ります。
ダウンタウンさんの笑ってはいけないシリーズにも出演されていました。
今もお笑い部分では髪の毛の薄さを笑いにされていましたよね。
イケメン気取り?
温水洋一さんがイケメン気取りだという噂を見つけてしまいました。
そんなイメージではないですよね。
温水洋一さんは「ぬっくん」と呼ばれて勘違いし、イケメンと気取り始めました。
お笑いの番組に出ている時にはイケメンだと自分の事を思っているようには感じませんでしたよね。
実は「大人計画」劇団員だった若い頃はモテていたらしく、彼女にお金がないから替え歌をプレゼントしたりとイケメンなアプローチをしていたのです。
若い時はモテておられたんですね。
モテていたとすると少し勘違いする人もいますよねw
替え歌をプレゼントって温水洋一さんには少し合わないように感じますね。
温水洋一が芸能界で活躍するまでの経緯
温水洋一さんは、都城市立大王小学校から都城市立小松原中学校、都城西高校へと進学&卒業しています。小学生の頃は病弱で、引っ込み思案であったことからいじめにあっていたんだとか。
そして、高校時代、当時好きだった子から「芝居が向いていると思うんだけど、やってみたらどうか」と言われたことをきっかけに演劇部に所属します。これが、その後の人生を決定づける運命となるとは。ですね。
高校時代は、生徒会の役員も務めていたようですから、やはり非常に真面目な性格の持ち主であることがわかります。
高校卒業後は、日本福祉大学に進学。演劇サークルに入ります。大学4回生となり、就職活動期にたまたま友達と見ていた雑誌「ぴあ」に一日だけ行う「大人計画」の劇の告知が掲載されているのを見て、観に行くことに。
結果、温水洋一さんは「大人計画」の団員募集に応募し、初期メンバーに見事合格するのです。
しかし、当時はプロの役者を目指すつもりはなくって、芝居が好きだからといった程度の気持ちだったそうです。
そして、1989年3月に大学を卒業するのですが、卒業前に上京。
『大人計画』は松尾スズキさんを代表に現在は宮藤官九郎さんや阿部サダヲさん、星野源さんとそうそうたる有名人が所属している劇団でとなっていますが、温水洋一さんは1988年から1994年までその劇団大人計画に在籍し、松尾スズキさんと『鼻と小箱』というコンビを組んでいました。
しかし、その後、温水洋一さんは売れない俳優時代が長く続きます。その期間中、住んでいる自宅の家賃を滞納したこともあったそう。温水洋一さんは当時は低収入で、34歳の頃まではアルバイトをしていたのです。
実は、下積み経験が長い俳優さんなんですよね。今では全国的に有名ですし、考えられないですよね。。
そんな温水洋一さんがブレイクしたのは、1994年に俳優の竹中直人さんのコント番組『竹中直人の恋のバカンス』に出演したことでした。その頃、温水洋一さんは『大人計画』や『WAHAHA本舗』の舞台で、裸になって奇声を上げるといった芝居をやっており、それをたまたま観ていたた竹中直人さんが温水洋一さんに出演オファーを出したのです。
その結果、温水洋一さんは徐々にテレビ出演が増加していくのです。
1998年には、安齋肇さんや村松利史さんらと共にオフィス『ワン・ツゥ・スリー』を創立。その後、個性派俳優として多数の舞台やドラマに出演していきます。
1999年に放送が始まったバラエティ番組『明石家マンション物語』に出演した際、明石家さんまさんから「ぬっくん」という愛称をつけられたことを契機に、明石家さんまさんとご縁をもらい、2000年には明石家さんまさん主演の舞台『七人ぐらいの兵士』に出演したことで大ブレイクへとつながりました。
千秋楽後には『踊る!さんま御殿!!』にゲスト出演し、「ぬっくん」と呼ばれる愛されキャラが確立されました。
ぬっくんと愛称をつけた明石家さんまさんも凄いです。めっちゃぴったりな愛称に感じませんか。名前から、とられているのですが、ぬっくんという愛称のイメージがぴったりですよね。
温水洋一さんの個性がさんまさんや竹中直人さんに気に入られたのでしょう。
こうして様々な人に助けられたことで、テレビ出演が増えて、確かに売れたのですが、温水洋一さんは悩みます。
舞台仲間から『舞台人なのに、なんでバラエティ番組ばかり出てるんだ』『好き放題に言われすぎだろ』と言われ始めたんですね。確かに、温水洋一さんはバラエティには俳優枠ではなく芸人枠で呼ばれており、容姿や髪の事ばかりいじられていたんです。
確かに、仕事が増えたことに感謝していた温水洋一さんではありましたが、もともとは舞台出身なものですから、あくまで俳優業を軸に芸能活動をしたいと思っていたんですよね。
しかし、理想と現実は違うことに悩んでいたのです。
そんな時、『ダウンタウンDX』に出演する機会があり、ダウンタウンの浜田雅功さんから『温水はそのままでええ。芸人と一緒にワイワイやると、お前が損するで。役者のままでおれ』とアドバイスされます。
その言葉に、たとえ温水洋一さんはバラエティ番組に出演しても、無理して目立とうとはせずに、自然体でいられるようになったと語っています。
浜ちゃん、さすがですね!
温水洋一さんは俳優なのにお笑い芸人なみのおもしろさを持っているというポジションだからこそ、生きるわけですからね。それが本当にお笑い芸人化してしまえば、お笑い芸人と同化してしまいますから、価値がなくなるんですよね。
あくまで自分だからこそ、自分にしか出来ない闘い方をするべきなんですよね!
劇団「大人計画」を退団した理由
劇団では主催の松尾スズキさんとともに「鼻と小箱」というコンビを組んでいましたが1994年に退団しました。
退団の理由が気になりますね。
劇団を退団した理由は「ケンカ別れ」と言われており、松尾スズキさんとは共演NGにしているとのことです。
ケンカ別れが本当の退団した理由なのかはわかりませんが、
スタッフとケンカになることすらあるから、特に若いスタッフに敬遠されるようになっていたのです。
芸能界でチヤホヤされているとみんな少しは上から目線になってしまうのかもしれないですね。
温水洋一に死亡の噂
温水洋一さんの死亡の噂がでたのは掲示板が原因のようですね。
2ちゃんねるの掲示板に誰かが面白半分で立てたスレッドが原因でした。
スレッドが立ったのは2015年11月2日の12時48分。
死亡時刻は同日午前10時35分となっていて、事務所発表が2日(時間は明記されていません)。
つまり死亡直後に事務所がその死や、詳しい内容を発表した事になります。
2chの掲示板には嘘の情報もたくさんありますね。
温水洋一さんの死亡が書かれていた情報も嘘でした。
いたずらで載せるにしては酷すぎます。
温水洋一さんは現在も亡くなってはいませんので安心してください。
元気にしておられます。
これからも、俳優・お笑い・舞台と頑張っていただきたいですね。