草野仁に息子がいるの?年齢や兄弟・若い頃の活動について。

アナウンサーとして名が知られている草野仁さん。

彼のプライベート&息子さんについてまとめました。

 

草野仁について

まずは草野仁さんご本人について。

1944年、満州国新京(現:中国吉林省長春)に生まれる。

父は数学者で長崎大学名誉教授の草野萬三郎、母は音楽教師。

2歳の時に引き揚げ。

長崎県島原市で育つ。

満州の出身だったのですね!

当時は戦争やなんやらで草野さん世代の方には珍しくもないようですが、今の感覚からするとちょっと驚き。

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その後、長崎県ですくすくと育った草野さん。

その後、長崎県立長崎西高等学校への転校を経て東京大学文学部社会学科を首席で卒業。

卒業論文のテーマは「戦後沖縄における対米感の推移」。

なんと!

いきなり東大を首席で卒業!

まさにスーパー仁くん!

ご両親が教授と音楽教師ということで、教育にはかなり熱心だったのでしょうか。

その後、奥様と出会って結婚をするのですが、プロポーズは奥様からだったそう。

その時の言葉が結婚してくれないと自殺するだったらしいです。

これはプロポーズではなく脅迫ですよね・・・。

脅迫でも幸せでうまくいってるなら…結果オーライ!

こんな脅迫も受け入れるくらいですので草野さんはさぞや穏やかで優しいのだろうと思っていたのですが、内心は随分違うそうで。

穏やかで怒らなさそうな見た目だが、内心は短気であり、店員がメニューを間違えると「職業柄怒れないが、内心はキレている」という。

ニコニコ顔でキレるおじさんって漫画とかに出てくる強キャラ感があります。

イメージとは違うので、ちょっと驚きですね。

 

草野仁には息子がいるの?

草野仁さんと奥様の間には息子さんが2人います。

草野仁の子供についてですが、2人の息子に恵まれています。

長男の名前は「草野裕」で、現在は40代後半なんだとか。

長男もまた父親のDNAを引き継ぎ、ボストン大学の大学院まで進学しているのです。

長男さんも頭脳明晰頭なのですね!

お金持ちの実家、優れた頭脳…当然、幸せな家庭を築いているのかと思いきや…

その息子さんですが、結婚と離婚を経験してまして、その結婚相手だった嫁さんは元バレーボールの選手、ヨーコゼッターランドさんと言う方でした。

結婚式にはものすごいお金をかけたそうですが…

すれ違いが続いて、わずか4年程度で離婚してしまったそう。

続いて次男についてです。

名前は草野健さん。

年齢は40代半ばという事ですが、職業はイラストレーターなんだとか。

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ただ、父親の会社で経理としても働いているんだとか。

次男さんの方はイラストレーターという職業以外に、これといった情報が出てきませんでした。

どんな絵を描いているのか、気になりますね!

 

草野仁の年齢

なぜか世間では草野仁さんの年齢についてきになる様子。

草野仁さんは1944年生まれの現在75歳です。

なぜそんなに年齢に関心が…?と思い調べてみて納得。

草野仁さんの身体能力と年齢がマッチしていない、と話題なのです。

番組では、71歳となる草野が行っているという筋トレの内容を紹介した。

草野は自宅にエアロバイクなどの器具をそろえ、ダンベルの上下と左右の持ち上げ運動を各300回、腕立てと腹筋を各100回などといったハードなメニューをほぼ毎日欠かさないそうだ。

こちらは三年前の記事ですが、今現在も行なっているのかは不明です。

ただしこの時、草野さんは医師に「今すぐ筋トレをやめないと筋肉が破裂して死ぬ」と脅かされたそうですので、もしかしたら今は少し控えているのかもしれないですね。

 

草野仁には兄弟がいるの?

草野仁さんには、お兄さんが2人いるそうです。

インタビューで過去にこんな風に語っていました。

兄2人がどちらも東大生でしたから、一応私も東大を目指すことになりました。

どうやらお兄様たちも東大生だったのですね!

ですが無事卒業したかどうかは不明。

草野仁さんのようにご兄弟も首席卒業だったらすごいですね!

 

草野仁の若い頃の活動について

草野さんのアナウンサー歴の始まりは、NHKからでした。

1967年NHK入局。

報道記者志望だったにも関わらず、アナウンサーで採用された。

鹿児島、福岡、大阪、東京アナウンス室などでの勤務経歴がある。

また鹿児島局から福岡局へ転勤した頃に自律神経失調症を患い、当時を振り返って『病は気からだった』と述懐している。

その後、NHKを退社してTBSと専属契約、その後フリーへとなります。

1985年にNHKを退職。

この頃「アナウンス室は報道局の指示に全て従う」と通達が発せられ、報道局の言いなりとなることを危惧したからであったと後述している。

並びにTBSと一時専属契約(TBSとの専属契約は1991年まで)し、同年4月から同局の『朝のホットライン』の司会を担当。

かつての草野はスポーツアナウンサーとして知られ、1976年のモントリオールオリンピック実況中継担当、1984年のロサンゼルスオリンピック中継、『ニュースセンター9時』のスポーツコーナーキャスター、『テレビスポーツ教室』の司会などを歴任した。

どちらかというと、スポーツ実況の方が印象が濃かったようです。

現在もしばしばテレビで拝見しますが、いつまでも元気なお姿を見せてほしいものですね!

草野仁さんの記事については以上となります。

最期まで読んでいただき、ありがとうございました。

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