今回は、芸人として名を遺した「橋達也」さんについてまとめます。
芸人・橋達也について
みなさんは、橋達也さんという芸人さんをご存知でしょうか。
大日本帝國租借地時代の大連市(現在の中国東北部)出身。
喜劇役者として活躍、テレビでも人気を得るも、数々の浮き沈みを経験。
近年、「お笑い浅草21世紀」を立ち上げ自ら座長となり、停滞の一方であった浅草・軽演劇の復興に取り組んでいた。
日本がまだ大日本帝国の時代に、中国にあった日本が管理する都市で生まれた橋さん。
本名を枦嘉彦(はしよしひこ)さんといいます。
浅草のお笑いを盛り上げ、一代を築いた方です。
橋達也さんと花かおるさんの男2人組。
いわゆる日本のナンセンスの走りの頃のお笑いである。
「千葉の母ちゃん乳搾り」と牛の乳搾りのポーズをするなどの決め技を幾つかもっていて締めには「ダメなのね~、ダメなのよ~」。
これ2人が両手を上に上げて、2人揃って左右に一度ずつ海藻が波に揺られるようにフラリフラリと動きながら言う決めセリフである
花かおるさんという相方とコンビを組み、「ダメなのね~、ダメなのよ~」というフレーズでお茶の間を沸かせました。
なんだかマネしたくなるような、コミカルなネタだったのですね。
また、お笑いコンビを解消したあともコメディアンとして生き続けました。
㈱浅草21世紀・代表取締役社長/社団法人日本喜劇人協会会長。
喜劇役者・お笑いタレントとして、幅広く活躍している。
お笑いタレントとして舞台に立ちながらも、喜劇人協会会長を務めたほどです。
そのときの浅草のお笑いを引っ張っていったと言っても過言ではありません。
浅草を盛り上げようというテーマで、「お笑い浅草21世紀」をスタートさせた。
これは浅草にもう一度お笑いの原点となる劇場を設立する目的と、若手の芸人の育成を大きな目標としている。
浅草・木馬亭において毎月8日間、自ら仕切りをとり、その目標に向かって邁進している。
自らお笑いをするだけでなく、若手の育成をすることで、浅草のお笑いを未来へ残そうとしたのでしょうか。
橋さんの現在はというと、残念ながら2012年に肺炎のため73歳で死去なさっています。
橋達也には息子がいるの?
そんな橋達也さんには息子がいるのでしょうか。
ご結婚や息子さんのことは詳しく調べることは出来ませんでしたが…
1998年に旗揚げされた地元の喜劇集団・お笑い浅草21世紀の座長である、橋達也さんの奥様が店主をつとめる<スナック・グッキー>も、浅草の住人たちに愛されて、すでに7年。
夜ごと地元の歌自慢たちがつどう、シンプルながら奥深い名店だ。
橋達夫さんの奥さんは浅草でスナックの店主をなさっているようですね。
ご本人も浅草の復興に貢献したとのことでしたが、奥さんともども浅草になじんでいるのですね。
また、
浅草21世紀の座長、橋達也さんの店で現在は息子さんがやっているスナック「グッキー」にて
こちらに息子さんの情報がありました。
橋達也さんのお店は、現在息子さんが経営しているようですね。浅草の「グッキー」に行けばお会いできるようです。
他にお子さんがいるかどうかは、公にはされていないようですね。
橋達也と小島義男の関係について
小島よしおさんをご存知でしょうか。
こちら、「おっぱっぴー」でブレイクした一発屋芸人ですね。
その当時は毎日のようにテレビで見ていましたが、最近は見ることがないですね…。
大御所である橋達也さんと、小島よしおさんにはなんと縁があると言います。
いま小島よしおは浅草に住んでいる。
その部屋は、もともとコメディアンの橋達也さんが住んでたところ。
橋達也さんは不動産屋に、もしこの部屋に芸人が引っ越してくる時は家賃を安くしてやってくれ、と交渉した。
そのおかげで、小島よしおは、破格の家賃で部屋を借りることができたとのこと。
なお、小島よしおの部屋には、東京ダイナマイトの松田や元さくらんぼブービーの梶も居候してたとプチ情報。
直接のかかわりはないですが、小島さんが住んでいる部屋は橋達也さんが住んでいたところだそうです!
若手芸人はお金がない中、自分の夢を追って東京に上京してきます。
ですが、仕事はうまくいかないし家賃は高いし…
という厳しい環境に陥る人が沢山いるのでしょう。
橋さんは、若手芸人のために粋な計らいをしてくれていたのですね。
こんな気持ちを知ったら、頑張って夢を追おう!と思っちゃいます。
もしかしたら今も、その部屋には売れない芸人さんが住んでいるかもしれませんね。
橋達夫さんは、当時落ち込んでいた浅草発祥のお笑いを再燃させただけではなく、これからのことも考えて若手育成に力を注いだとても魅力的な人物でした。