古賀稔彦の息子は古賀颯人で柔道をしてる?画像あり?兄がいる?

今回は柔道家の古賀稔彦(こが としひこ)さんについてみていきましょう。

古賀稔彦の息子の名前は古賀颯人で柔道をしてる?画像あり?

柔道家の古賀稔彦さんといえば、常に一本を取りに行く柔道と、小柄ながらも切れ味の鋭い豪快な 一本背負投から「平成の三四郎」の異名で呼ばれていました。

1992年ではバルセロナオリンピック柔道男子71kg級で金メダルを獲得しています。

引退後は環太平洋大学体育学部教授兼女子柔道部総監督や、古賀塾塾長として活躍しています。

私生活では2度結婚しており、2人目の奥さんとの間に息子さんが2人、娘さんが1人いらっしゃいます。

長男は古賀颯人(こが はやと)さん、次男は古賀玄暉(こが げんき)さんで、2人とも柔道をしています。

古賀颯人さんは2016年に日体大へ進学し、「ミライモンスター」で特集されています。

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1年の時には学生体重別の2回戦で敗れた。

2年の時には全日本ジュニアで3位となった。

3年の時には学生体重別で今大会を2度制した父親に続いて優勝を飾った

この際に、「何としても優勝したかったので、うれしい」とコメントした。

体重別団体では同級生である66㎏級世界チャンピオンの阿部一二三などとともに活躍して、チームの初優勝に貢献した。

父が世界的に有名な柔道家というプレッシャーに負けず、頑張っているようですね。

古賀稔彦の息子・古賀颯人は大成高校出身なの?

古賀颯人選手は金メダリストの息子であるということで注目を浴びていますが、その見た目もイケメンということで話題になっています。

幼いころから注目を浴びてきた古賀颯人選手ですが、ここ最近はそのイケメンっぷりが注目されているようです。

実は父の古賀稔彦さんも若いころイケメン柔道家として話題になったこともあります。(当時はイケメンと言う言葉はなかったですが)

しかし息子の古賀颯人選手は、父をイケメンでは遥かに超えている感じを受けます。

後は父の偉大過ぎる「柔道の戦績」を超えられるかが注目を浴びそうですね。

大成高校時代から頭角を現し、イケメンだけでなく将来有望な柔道家として注目を浴びています。

大成高校に進むと、1年の時には全国高校選手権で決勝まで進んで神港学園高校1年の阿部一二三と対戦すると、有効を先取しながら1分過ぎに小外刈で敗れて2位に終わった。

なお、試合を観戦していた父の稔彦は、「ぼくのときは、もっとけんか腰だった。“ウリャー”とか声を出して、何が何でも勝つとね」と感想を述べた。

惜しくも優勝は逃しているものの、団体戦では見事優勝に輝いています。

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古賀稔彦の息子・古賀颯人には彼女がいる?

古賀颯人選手の名前「颯人(はやと)」というのは、「風という漢字が好きだった。日本で吹く風は世界でも吹く。世界を巡る人になってほしい」という古賀稔彦さんの思いが込められているそうです。

インターハイでは個人戦3位、団体戦も3位となっていますが、ブレーメン・ジュニア国際大会では2位に入っています。

常に3位以内に入ってきているのであと少しといったところですが、大学でさらにスキルアップするのではないでしょうか。

イケメン柔道家として話題になっている古賀颯人選手ですから、当然彼女もいるようですね。

お相手は同じ日体大で柔道部仲間のようです。

TwitterなどのSNSで画像を公開しているかと思いましたが、プライバシーのためかアップしていませんでした

現在彼女との交際は長く続いているようですが、その一途で誠実な性格がまた好感度を上げているようです。

古賀稔彦の息子・古賀玄輝の実力は?

次男の古賀玄輝さんは、柔道世界選手権60キロ級で優勝も果たしている実力者です。

もしかしたら柔道家としての実力は、兄よりも上なのかもしれませんね。

2017年4月からは父兄と同じく日体大へ進学しています。

9月の全日本ジュニアでは3位だった。

10月の世界ジュニアでは準決勝でヨーロッパジュニアチャンピオンであるアゼルバイジャンのカラマト・フセイノフに一本負けを喫して3位だった。

初開催となった男女混合による団体戦では決勝のオランダ戦で勝利を収めるなどしてチームの優勝に貢献した。

妹の古賀ひよりさんも柔道をしており、全国中学校柔道大会の52キロ級では2位に入っています。

兄妹そろって実力派なのですね!

古賀稔彦には兄がいるの?

古賀稔彦さんには古賀元博(こが もとひろ)さんというお兄さんがいます。

古賀稔彦さんが柔道をはじめたきっかけも、お兄さんの影響のようです。

小学校を卒業すると上京して柔道私塾の講道学舎へ入塾した。

弦巻中学3年の時には全国中学校柔道大会の団体戦で3位となった。

なお、講道学舎の厳しさを考慮して弟の入塾には断固反対していたが、弟は全く聞き入れず兄と同じ道を辿ることになった。

弟の才能にきづき、直立姿勢から投げ切る一本背負投を直々に指導しました。

世田谷学園高校2年の当時の兄は大学や警察の道場へ出稽古に赴いた際には、大人の選手を背負投で担ぎ上げると畳から板張りの床の上にわざわざ移動して、そこに思い切り叩きつけることを平然と行うほど恐ろしい選手であったという。

しかし、自分を超える存在になった弟に教えることはもう何もないと思い、大学卒業後は修猷館高校の教員になっています。

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